テキサス研究留学日記

テキサスに放牧された大学院生が博士号を取るまでの奮闘記と、その後の話。

人生の足跡【今年の抱負・総括】

2008年から緩く始まった1年の抱負を元旦に、総括を大晦日に行う習慣。毎年恒例となりました。

自分が今までどんなことを考えて何をやってきたかを、この記事を見て思い出すことができるので、人生のメモ代わりに残しています。

 

2008年【スタート】

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2009年【貪欲】

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2010年【自分への投資】

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2011年【夢を叶える】

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2012年【準備】

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2013年【自分との闘い】

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2014年【原点回帰】

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2015年【殻を破れ】

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2016年【挑戦】

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2017年【"自分らしさ"をみつける】 

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2018年【進化】 

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これからも続きます。人生が続く限り。

学振面接!(実践編)

こんにちは、Mr. Saitoです。

前回、海外学振の面接の流れについてまとめました。

 

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 今回は、実践編と称しまして私の体験談を載せます。

是非、反面教師にしてください(笑)。

 

 

学振面接(私の場合) 

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◎事前情報

  1. 私の面接時間は14時10分から
  2. テキサスから帰ってきたばかりなので、ケータイ電話が使用できない

 

12:50 潮見のホテルにて、髭を剃る途中に髭剃りの電源が落ちる。なんだか悪い予感。とりあえず慣れないカミソリで髭を剃る。

 

13:00 ホテルを出発。順調にいけば面接開始の30分前までには着くはず。

 

13:30 四ツ谷駅に降り立つ。ここから徒歩5分ほどで弘済会館に着くはず。

 

13:40 なかなか弘済会館が見つからない。もしやと思ってタクシーを止めて運転手に訊くと逆方向に歩いていたことが発覚。タクシーに飛び乗る。

 

13:45 弘済会館に到着。久しぶりにタクシー1メーターで乗った。

 

13:50 面接会場を探すが、特に学振の面接と書いていない。焦り始める。

 

13:55 学振の会議と書いてあった会場に入る(でも明らかに面接とは書いていない)と、偉い人たちの会議中であった。自分が学振の面接を受ける旨を伝えると、隣のビルでやってると教えてもらった。深々と一礼して隣のビルへ行く。

 

14:00 3Fの面接会場に向かうた目のエレベータの扉が開くと受付の人がいた。名前を述べると「お待ちしておりました!」

 

14:02 面接が少々早く進んでいるので急いで準備をしてくださいと言われる。プロジェクター接続確認をして、資料を15部印刷していることを伝える。すぐに面接会場に案内される。

 

14:05 いよいよ名前が呼ばれ、面接会場に入る。プロジェクターにつなげてプレゼン開始。

 

プレゼンは一語一句暗記して行った。しかしながら、緊張から噛んだり、つっかえたりすることが多く、結局最後のスライド説明で2行ほど飛ばして説明することになった。

 

プレゼン時間はおよそ4:01と完璧。

 

プレゼンの内容としては、手法の説明は易しいものにして、この研究がもつ波及効果など、インパクトを重視したプレゼン内容にしていた。

 

質疑応答で訊かれた質問

 

Q1 能動型観測測器と受動型観測測器を使う理由は?(審査員A:専門的)

Q2 (測器を)二つ使う利点は?(審査員A:専門的)

Q3 テキサスA&M大学に滞在していたとあるが、研究環境はどうだったか?(審査員B: 専門外)

 

Q1の質問に答えると、質問の意図が少し違ったようで、Q1に補足した質問がQ2できた。この時点で大きな失敗をしたと落ち込む。

 

質問者がこの研究に対して専門知識があるようだったので、Q2では詳しく説明した。

Q3でどうでもいいような質問が来たので、「ああ、これは落ちたかもな」と思った。とりあえず、研究環境が非常に良いので、向こうに行ったらたくさん成果が出せそうだということを匂わす発言をしておいた。

 

9分を知らせるベルが鳴ると、退出を促されてプレゼン終了。

 

 

学振面接の反省(私の事例)

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まず、前日まで資料作りしている時点で準備不足感は否めない。

個人的には1週間前までには完成させ、発表練習を繰り返していくたびに改訂を重ねる。3日前には完成版を確定させ、資料を印刷して後はひたすら練習しておけば良い。

また、一語一句暗記はあまり良くないと思う。とくに融通が利かなくなり、練習と違う状況になると焦りが出る。

自分の場合、プレゼンには苦手意識はなく、原稿を用意せずに頭で考えながら発表を行うスタイルを好むので、いくら4分といっても述べるべきポイントだけ決めて臨めばいいのではと思う(その代わりものすごい数の発表練習を行う必要があるが。)。

また、スライドの内容は、15人の審査員全員に理解できる内容にすると、数人の専門的知識を持つ審査員に対してかなり物足りない印象を与えることになる。

最初にビッグピクチャーを見せて、手法や研究の売りなどは専門家向けに作ってもいいかもしれない。僕は手法をあまり詳しく説明しなかったので、質問を受けた。スライドごとに、専門家向け、一般向けにするなど併用したほうが良いだろう。

 

今回は、書類を提出時と比べて主著1本共著1本を上乗せしたので、それがどれだけ評価されるかで勝敗が決まると思う。おそらくプレゼンでは点数を稼げていないので。自分が審査員だったら、合格はさせていないかもしれない。

 

学振面接結果

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落ちたかな?受かるといいな。

 

 

 

そう願いながら待ちに待った採用内定発表の日、Web画面に出た結果は…

 

 

 

 

 

 

 

補欠。

 

 

 

進路が決まらない…

学振面接!(基本編)

こんにちは。おひさしぶりです。

 

長らく更新が滞っていましたが、ようやく一つ研究の目処がついたので、更新を始めます。

 

実は今年の9月末に学振の面接を受けるために急遽帰国していました。そうです。海外学振です。その準備から面接受験までのドタバタまでを(自戒の念も込めて)まとめます。

 

学振の面接資料作りや面接の体験談などは多くのサイトですでにまとめられています。

しかしながら、当日の詳細を時系列でまとめているサイトは思いのほか見つかりませんでした。そこで、まず、学振面接!(基本編)と題して、面接当日の時系列をまとめます。

 

学振面接の時系列

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面接当日の流れ(面接開始時間を14:10とする。)

 

13:30 スーツ姿で四ツ谷駅に降り立つ。

 

13:30 四ツ谷駅麹町口を出て、新宿通りを横断し左方向へ進む。

 

13:35 5分弱歩くと屋上の看板に「弘済会館」と書かれたビルがある。学振面接会場は小さい道を挟んだ手前のビルである。面接時間の30分以上前までに着く必要がある。

 

13:36 エレベータで3階へ行き、ドアが開くと目の前に受付の女性がいる。

 

13:37 名前を告げると待合室に連れて行かれ、プロジェクターとの接続チェックを促される。その際、資料(15部)を印刷しているかどうか訊かれる。

 

13:38 待合室には数人の人が面接時間を待っている。みんなスーツだった。

 

14:00 時間になったら待合室から出て、面接会場の外のパイプ椅子で待つように言われる。お姉さんに誘導される。

 

14:00 面接会場は領域ごとに分かれており、例えば、化学、数物科学、生物学、医歯薬学などといったところだ。数物科学の部屋の前に案内された。

 

14:01 ノートパソコンとプロジェクター接続コネクタを持って、パイプ椅子に座って待つ。

 

14:05 資料は係りのお姉さんに渡す。リュックを持参したが、出番になったらお姉さんが持ってくれる。心配ご無用。

 

14:09 前の人の発表が終わるとドアが開く。ただこの時は部屋に入らず、お姉さんが資料を審査員に配る。

 

14:09 入ってくださいと言われると、部屋に入る。その際「失礼します。」と“一応”一礼。

 

14:09 中に入ると15名程度の審査員とベルを鳴らす方がコの字状に座っていた。

 

14:10 入室後、速やかにプロジェクターにノートパソコンを接続する。接続後、「準備できました」という顔をする。

 

14:10 中央に座っている審査員が、「それでは、名前と研究科題名を述べてから発表を始めてください」というので、自分の名前と研究科題名を述べる。

 

14:10 自分の研究科題名を述べると、係りの人が始まりの合図であるベルを鳴らす。ここから計4分の発表時間が与えられる。

 

14:14 4分を過ぎるとベルが鳴る。特に説明はないが、速やかに発表を終わらせなければならない。

 

14:14 発表を終えると、中央に座っている審査員が「それでは質疑応答に移ります」と述べる。

 

14:14 中の15名の審査員は、数物科学領域の研究をまんべんなく評価できるようになっているはずなので、自分の専門分野の審査員は多くて2人か3人であろう。

 

14:19 9分を過ぎるとベルが鳴る。発表・質疑応答で計10分と聞いていたが、おそらく終了の目安であろう。

 

14:19 キリのいいところで、中央の審査員が「それでは質疑応答を終わります。速やかに退出してください」と述べるので、退出する。

 

14:19 リュックを運んでくれたお姉さんが微笑んで迎えるので、リュックを受け取って、面接終了。

 

 

 

以上。これは面接受験後30分で殴り書きしたものである。

過去の面接受験者に訊いても、例年面接の流れは変わらないそうなので(ポスター→スライドとなったが)、参考にしてもいいのではないかと思う(ただし責任は取らない)。

 

 

次回は、私の経験談を述べたい(重要なので繰り返す。自戒の念を込めて。)

 

 

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それでは!

テキサス研究留学日記(3)〜到着から1ヶ月まで〜

こんにちは。Mr. Saitoです。

 

前回の続きです。

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アメリカでの新生活

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上空1万メートルで迎える夜明け。轟音の中、眼下には朝日に照らされて眩しく輝くアメリカの大地が広がっていた。寝不足の中、飛行機は予定通りヒューストンに降り立った。

ここから乗り継ぎで大学のある街へ向かう。不安なほど小さな機体に体を押し込め、地平線広がる大地の真ん中に向かって飛行機は降下を続けた。

 

ここはヒューストンから100マイルほど北に位置するブラゾス群カレッジステーション。テキサスA&M大学がある街だ。学生は5万人を超える全米を代表するマンモス大学だ。

 

小さな空港に降り立つと、中国人留学生のYが迎えに来てくれていた。今から3週間ほど前の国際学会の時に会って、生活のスタートアップを手伝ってくれるということだった。

 

時差ぼけと寝不足で頭がぐるぐるする中、携帯電話の購入、銀行口座の開設、住居の契約を行った。流暢なアメリカ英語は何度聞いても自分の頭の中に入ってこず、契約書の内容の10%も理解できないまま恐る恐るサインをした。

備忘録だが、銀行口座の開設には住所が必要(ステイトメントを送るため)。住居の契約には銀行口座が必要であり、SSNがない滞在者は、非常に面倒であった。結局先に銀行口座を開設し、その時はYの住所で登録し、住居の契約後に住所登録を変更した。

 

全て終わったのが午後3時頃。それまで何も食べていない。。。

その後、Y行きつけの中華料理屋さんで食事(朝食?昼食?)を取ったが、あまりの空腹と寝不足や時差ぼけからくる体調不良で、あまり食べれなかった。入居日まで1週間あるので、しばらくホテルに滞在することになった。

 

それから1週間は、街を歩き回り、土地勘をつけていった。一日の歩行距離は7kmから10kmにもなった。これから研究生活をする大気科学専攻へのcheck-inや、留学生用のオリエンテーションなどを受けて、いよいよオフィスに自分のデスクも与えられた。

 

引っ越しは大変だった。旅行鞄4つを転がしながらホテルから引っ越し先までの4kmの道のりを歩く。大変すぎて途方に暮れていると、一台の車が止まり手招き。引っ越し先まで乗せていただいた。アメリカ人は優しい。

その後、後輩Hにも手伝ってもらって新生活用品の購入などを行った。この1週間は、自分の英語力の無さに絶望していた。コミュニケーションを取ろうにも相手の言っていることがわからないのだ。自分の意見を伝えることはできるのだが、受け取ることができない、苦しい日々が続いていた。

 

研究生活もスタート

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いよいよ研究活動が始まった。とはいっても、急遽研究計画を変更したので、文献調査から始める。なかなかトガった計画書を書いてしまい、「実・現・可・能・性」の言葉が常に頭の上にちらついていた。そこに、こちらの大学で指導教員のY先生が来て、一言。

 

Y先生「そういえば、H後輩と同じような研究計画だったよな。こんな研究したらどうだ?」

俺 「」

 

地上観測で雲の特性を推定する研究をやる予定が、先生が勧めてきたのは衛星データを活用した研究、というよりは、衛星データを使ってなんかやってみたら?というざっくりしたものだった。ここに来てまた研究計画変更か。どうしようか。

でも、この時は、この流れに乗ってしまおうと思った。どうせ今の研究計画もできるかどうかわからないのだし、新しい環境に来たのだから、新しいことをやってみよう!決めてからは行動が早く、ここから2週間は文献調査に費やした。研究アイデアノートの隅っこに似たような研究アイデアがあったので、過去の自分に感謝した。かなり手法的に難しさを伴うが、それゆえできた時のインパクトが大きいのでやる気になった。

 

授業も始まった。統計学の先生にお願いして授業を聴講させてもらうことになった。英語にまだ耳が慣れないが、授業で扱われる専門用語の語彙が増えてきて、だんだん慣れてきた気がする。

 

事件発生

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ある日曜日の朝、今日は大学に行こうかなと準備しながら外を眺めたところ、あるはずの自転車がなくなっていた。絶望した。買って二週間、非常に気に入っていたのに、窃盗にあってしまった。ようやく生活がうまく走り出したのに!!

 

一筋縄では行かせてくれないのだな。これから一体何が起こるのだろうか?

テキサスに来て1ヶ月が経とうとしていた。

 

 

続く。

テキサス研究留学日記(2)〜準備から出発まで〜

こんにちは。Mr. Saitoです。

 

前回記事の続き。

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次の手段

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失意の日々が数日続きましたが、最終手段にでます。

 

TOEFL iBTスコアがない場合は、渡航先の大学の留学生科の職員と直接ビデオ面接をして、十分な語学力があるかどうか判断され、合格・不合格が決まります。

 

ビデオ面接を申し込んでからは、会話の猛練習をしました。留学が決まってから英会話スクールに通っていたのですが、面接の練習もしていただいて、しっかり準備することができました。

 

そのおかげで、なんとかビデオ面接を合格したのです。

 

というか、質問が簡単すぎて、本当にTOEFL80点レベルなのだろうかと心配になりましたが。

 

とうとう最後の書類が揃い、VISA申請のための書類をまとめて一旦アメリカの受け入れ先の大学に送ります。この時11月上旬。VISA面接を受けるために必要なDS2019を受け取ったのが11月下旬でした。

 

VISA面接へ東京へ

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さて、VISAの面接の予約を取り、12月上旬に東京都内にあるアメリカ大使館に赴きました。非常に混むので朝8時30分には大使館の門の前にはいたと思います。出国審査並みのセキュリティーチェックを受けて中に入りました。それまでに様々なブログ(渡航関係)を読み、どの程度時間がかかるか、どんな質問が来るかなどはリサーチ済みです。

 

 

。。。あれ。あれれ。

 

 

なんと、3時間程度待つと覚悟していたら30分も経たずに呼ばれ、簡単な質問を受け答えしただけでVISAが発布される事が決まってしまった。こんなに簡単なのか。

 

気になって後で調べてみると、留学目的や留学先の招待状があるとそんなに時間がかからないという事だった。

 

ちなみに、VISA面接の予約はなるべく早く取ったほうがいいでしょう。混雑時には予約が1ヶ月先になる事もザラだとか。三日後に取れた私はかなりラッキーでした。

 

翌週にはVISA付きのパスポートが帰ってきました。これで、ようやく留学に行けることが決まりました。すこし、ヤキモキしていたのは、その翌週にアメリカ出張があったという事。今回はVISAを使わない滞在ですよとなんども入国審査で念を押した。

 

 

ついに出国1週間前

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いよいよ出国まで1週間となったクリスマスの日、受け入れ先の大学の研究室の学生で、自分が所属する研究室の後輩だった子が研究室訪問してきた。彼は、僕にアメリカでどんな研究をやるのか興味があったらしく、僕も何かコメントが欲しいなと思い、研究計画書を見せた。

 

俺 「。。。どうだろうか?」

彼 「これほとんど私の研究と同じ内容ですよ。

俺 「」

俺 「。。。え?」

 

半年に渡って準備してきたが、もうすでにやられていただなんて。1年前、彼の発表を国際学会で聞いた時は、この内容とは違ったのに。彼に訊いてみると、同時並行で私の研究と似た事もやっていたという。これは、自分のリサーチ不足だった。

さらに話を訊くと、かなり研究は進んでいるようだった。自分のやりたいことをやっているので、研究の説明を聞いている時は楽しかったのだが。

ともあれ、同じ研究を同じグループでやるわけにもいかないので、急遽研究計画を練り直す事になった。

 

ただ、半年かけて練ってきた研究計画に匹敵する質のものは数日で書けるわけもなく、これまで書き留めてきた研究アイデアノートとにらめっこしつつ、時は過ぎていった。この時は吐きそうなくらい追い詰められていた。

 

数回、自身の指導教官に研究計画案を提出するも、すべて却下された。質が足りないと。そらそうだよなぁ。

 

そうこうしているうちに、出発の日が近づいてきた。結局、研究アイデアノートの中で一番斬新なアイデアを元に、研究のアウトラインだけ決めてなんとかGOサインが出たので、とりあえず、研究室を後にした。

しかし、実現可能性を含めて何一つ先が見えない。「D4*1」がちらついた状態である。

 

そして出発の日。両親は、僕の事を心から応援してくれた。成田空港に向かう車中、幾ばくの寂しさを憶えた。

 

これからの10ヶ月は、自分の研究者としての能力が試される。裸一貫でいいじゃないか。やってやろう。 

 

押しつぶされそうな不安の中にも、身体の奥底からメラメラとやる気が湧いてくるのを感じながら、飛行機はヒューストンに向けて飛び立った。 

 

続く。

*1:博士課程後期を3年で卒業できないという事

こんなショッピングモールには行きたくない

ふと、妻とこんな話題になった。

 

妻 「ショッピングモールにいきたい。」

私 「家からすぐ近くにあるから行こうよ。」

妻 「あそこはつまらないからいい。ヒューストンに行く。」

私 「でも、家の近くのモールだっていくつかお店あるよ。」

妻 「私はあのモールに魅力を感じないの。」

私 「」

 

一度だけ二人で近くのモールに行ったことがあるが、幾つかの店舗はよく行くお店だったりするのに、なぜ妻にとっては魅力的ではないのか不思議だった。

 

確かに、店舗数ではヒューストンのそれと比べると少ないが、数時間の時間つぶしには問題ないと思ったからだ。

 

様々な質問をして、ある程度は原因について理解できたので、それをまとめることにする。

 

⒈モールの魅力度は加点方式

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モールの店舗それぞれの魅力度を足し算して、合計値が閾値を超えるかどうかで、魅力的かどうかが決まるらしい。

例えば、H&MやForever 21と同じような魅力の店舗が5店舗含まれているモールと、10店舗含まれているモールでは、後者のモールの魅力度が前者のそれの2倍であるということだ。

またこの場合、前者のモールの魅力度は閾値に達せず、あまり魅力的に思えないことがわかった。

 

それでは、店舗数が圧倒的に多いモールであれば、個々の店舗の魅力度が低くても魅力的に思えるのだろうか?

 

 

⒉店舗の魅力度は対数スケール

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例えばだが、店舗を5種類に分けるとする。

 

1)興味ない、寄らない店舗

2)特に好みではないが、モール内にあればごく稀に寄る店舗

3)まあまあ好きで、モール内にあれば、近くを歩いていたら寄る店舗

4)好きで、モール内にあれば必ず寄る店舗

5)大好きで、モール内1時間以上過ごせる店舗

 

ここで魅力度の点数のつけ方は順番通り1〜5点とはならない。

 

1点)興味ない、寄らない店舗

10点)特に好みではないが、モール内にあればごく稀に寄る店舗

100点)まあまあ好きで、モール内にあれば、近くを歩いていたら寄る店舗

1000点)好きで、モール内にあれば必ず寄る店舗

10000点)大好きで、モール内1時間以上過ごせる店舗

 

つまり、興味のない店舗や、ごく稀に寄る程度の店舗は加点にさほど影響しないのである。1000点を超えるような好きな店舗がいくつあるかということが重要なのである。

 

大概この場合、魅力的かどうかの閾値は10000点程度となるはずである。

5)の好きなブランド店舗があれば、それ自体がモールに行く目的となりうるからである。

そして、大事なのが、この閾値は、モールに滞在する時間の関数になっていないのである。つまり、たとえ数時間や30分の時間つぶしのためであっても、閾値に達していないモールは魅力的に映らないから寄りたくないのである。

 

魅力度を測ってみよう

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渋る妻を説得して、自宅からすぐ近くにあるモールへと出かけた。

www.postoakmall.com

そのモールは一体どれくらいの魅力度なのだろうか?

 

計算した結果、

1000点 3店舗

500点 2店舗

100点 5店舗

それ以下 多数

ということで、合計4500点程度であり、閾値の10000点を超えることができなかった。

 

というわけで、家の近くのショッピングモールは、妻にとって魅力的に映らないということがわかった。

 

しかし諦めてはいけない。このショッピングモールの点数(基礎点)に加え、同行者の話術などで加点もあり得るので、そのショッピングを楽しいものにするには、自分の話の引き出しを豊富にすることも重要なのだ。

 

ショッピングスポットが限られているので是非とも話術で残りの5500点を稼ぎたいですね。

 

モノに頼ってはいけない。日々努力である。

それでは。

村上陽一郎著「科学者とは何か」を読んで

こんにちは。

 

最近読んで目から鱗が落ちた本についての備忘録です。

https://www.amazon.co.jp/科学者とは何か-新潮選書-村上-陽一郎/dp/4106004674www.amazon.co.jp

 

この本の内容に入る前に、自分の研究者像について少しおさらいします。

 

研究者とは、

  • 知的好奇心に従って真理を追究する
  • 世の中に「便利」を作り出す

といったイメージがありました。

特に、自分の研究者になる動機は「ただ研究が楽しいから」という理由であり、

上記では「知的好奇心に従って真理を追究する」という項目に該当します。

 

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この本を読んだ後に、見事にこのイメージが覆されました。

 

科学者の責任とは?

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原子核物理学で大きな進歩があった1900年代中盤、科学者たちは知の探求に邁進していた。新しい発見をしては、論文に投稿し、自分の成果を増やす。こういった科学者たる行動が、原子爆弾の作成へと続いていることについて、当の本人たちはほとんど自覚していなかった。

 

一部の科学者は、それを自覚し、原子核物理に関する新しい発見をしていたにもかかわらず、それを出さずにライヴァルチームの研究者にも同様の研究をやめるように働きかけた。

 

しかし、それは聞き入られることはなかった。そしてあの日、原子爆弾は日本に落ちた。

 

当の科学者たちは、原子爆弾が落ちた数日後の電話で、初めて自分の研究が悪用された可能性について考えたそうだ。

 

科学者は、もう「知の探求」という免罪符に守られる存在ではなくなったと考えることができよう。一般社会と同様に、自分に知の探求のその先にあるものを見据えて日々研究をすべきであると言える。言い換えれば、研究の社会的な影響、または研究が社会的に需要があるのかという点を説明できなければならない(後者は持論を付加した)。

 

科学界が社会に寄り添うように発展していくためには、まずは「古き良き科学者」を捨てて、新しい科学者像、社会を見据えることができる研究者を個人個人目指す必要がある。

 

としている。

 

 

 

自身の科学者像に対する影響

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この本を読んで変わった部分と変わらなかった部分がある。

 

変わった部分

  • 研究者はもっと社会的影響を考えるべき
  • 研究を社会に説明する責任を持つ

変わらない部分

  • 知の探求に従う

 

研究者は自身の研究が社会にどのような影響を与えるかもっと考えるべきだし、分かりやすいように説明すべき。

なぜなら、研究費の大半は国民の税金で成り立っているし、研究者は、自身の研究資金元にどのようなことをしているか説明すると考えるのは自然のように思える。同時に、社会にどう貢献するか説明する義務のようなものがあると考えられる。

一方で、原子核物理のように一度悪用されると人類に大きな影響を及ぼしかねない技術開発に繋がる研究は、やめるべきとまでは言えず、倫理を持って悪用せず、それよりも良い使い道を考える(例えば、原子力発電。環境汚染を考えると最も発電効率が良い発電方法だと信じている。福島事故があり、声を大にしては言えないが。)。

 

付け加えておくと、一見、社会的影響がない研究でも、長いスパンで社会に影響を与えうる研究は継続する方が良いと思う。

例えば、ブラックホールの正体を突き止めても我々の生活が変わることはないが(社会的影響がない?)、知の探求の姿勢を子供達が目の当たりにすれば、いずれ科学の興味が科学者になる動機として後押しするかもしれない(長いスパンで社会的影響)し、日本が初めてそれを解明したとすれば、嬉しいニュースで国民は喜ぶであろう(社会的影響!)。

 

我々の暮らしを豊かにしたり、守ったりすることに繋がる研究はもっと増えるだろうし、そうでない研究も、挑戦的な研究は、科学者の憧れを少年少女に与える重要な源だ。

 

研究は、少年の心を持った大人がただ知の探求に邁進するものではなく、社会的意義のある創造的な仕事なのだ!

 

しばらくこの本を読んでから呆然としてしまったが、何か時計の針が正しい方向に動き出した気がして、今はすっきりした気分。

 

自分が所属する大気科学は気象・気候変動に密接に関わっている。つまらない研究者にはなりたくないけど、(社会的に)つかえない研究者にはもっとなりたくないよね。

 

 

さて、仕事に戻りますかね。

 

 

職場近くのスターバックスでコーヒーを飲みながら。