テキサス研究留学日記

テキサスに放牧された大学院生が博士号を取るまでの奮闘記と、その後の話。

テキサス研究留学日記〜留学が決まってから準備まで〜

こんにちは。Mr. Saitoです。

研究の関係で長らくブログから遠ざかっていましたが、少し落ち着いてきたので再開します。

 

さて、現在私は留学を開始して5ヶ月半が経とうとしています。

思い出の整理も兼ねて、留学が決まってから現在までを少しずつ纏めていきたいと思います。

 

masa-saito.hatenablog.com

 

 

研究留学のきっかけ

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博士課程に進学後、運良く日本学術振興会の支援を受けることができました。

その選考プロセスで、博士課程3年間の研究計画を書くのですが、自分の研究にも経験としてもいいだろうと思い、半年程度の留学期間(研究滞在)を勝手に設けて書類を提出した、というのがことの始まりでした。

 

もちろん先方の先生にも連絡は取っていませんでした(私の指導教官は知り合いでしたが)。

 

その時の研究計画では博士課程2年の9月から3月までとしていました。滞在先での研究内容は、博士課程1年から2年次の前半までに開発する解析システムを、渡米半年間で成熟させる、というもので、その研究内容がそのまま博士論文になるという予定でした。

 

しかし、博士課程は、自分の研究だけやればいいとはいかず、様々な雑務や教育の仕事がありました。例えば、研究室のサーバーや計算機のメンテナンスをしたり、後輩の研究に助言をしたり、先生のお手伝いをしたり。

もちろん、それらは自分の糧になるし、教育は自分の分野の理解を深めるので全く嫌ではなかったのですが、思っていた以上に研究計画が計画通りにうまくいかず、身を粉にしても博士課程2年の夏の時点で、システムの設計がようやく終わった段階で、開発作業に取り掛かれずにいました。

 

そんな博士課程2年の夏の時期、指導教官に呼ばれました。恐る恐る先生の部屋に入ると、一言。

 

先生 「テキサスにはいつ行くの?先方にはもう話ついているから」

私  「」

 

先生は研究が進んでいようがいまいが予定通り計画を遂行することのようでした。

ということで、テキサス行きが決まりました。急だったので、期間を2〜3ヶ月に短縮し、研究計画も元々やる予定だったシステム開発ではなく、現在結果が出つつある他の研究の議論と、人脈作りという目的で研究滞在しようということになりました。

程なくして先方から連絡が入り、9月から来れないか?という連絡が入り二つ返事で承諾しました。これが2015年7月中旬のことです。

 

しかし、雲行きは急に怪しくなります。3ヶ月滞在の計画を先方に送ったところ、「3ヶ月は短すぎる、少なくとも1年だ」と言われてしまいました。

この時8月上旬。観光ビザでは3ヶ月以上滞在できないので、交換留学ビザが必要であり、その手続きを1ヶ月以内に終えるのはとても無理でした。

 

アメリカに留学できるなんて、嬉しくって友人にも話していたので、その時は大きな失望でした。

 

しかし、私も諦めません。

なんてったって、一度決めたらとことん執着するタイプなので笑

 

結局、博士論文の提出時期も考えて2016年1月から10月末までの10ヶ月間で先方に御願いをし、承諾してもらうことができました。この時2015年8月末でした。

 

 

研究留学の準備

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早速、先方からInvitation letterが届きました。2015年8月31日でした。

 

私 「よし、これから4ヶ月でしっかり準備して、良い研究滞在にするぞ」

 

と気合を入れていました。

しかし、口を開けていれば留学ができるものと思っていましたが、そうではないのですね笑

 

気合を入れ続けて1ヶ月経った結果、先方から「君は留学のためのプロセスを踏む必要がある。詳しくは大学の留学生科に問い合わせてくれ」というメールをもらいました。

 

Invitation letter以来メールはもらっておらず、留学の手続きを指示されるのだろうと思っていましたが、そこはアメリカ、自分で調べて自分で手続きを進めなければなりませんでした。今考えると当たり前ですよね笑 

 

結局、大学に郵送する書類は以下のものが必要でした。

  • 大学院時代の成績証明書
  • 留学期間中の収入の証明書類
  • 銀行の預金残高の証明書
  • CV(履歴書)
  • 旅行保険の証書コピー
  • 研究計画書
  • パスポートコピー
  • 英語学力証明書

 

私  「え、英語学力証明書???」

 

考えてみれば当たり前ですが、留学にはそれ相応の語学力が必要となります。しかし、私はTOEFL iBT等の試験を受けたことがありませんでした。

 

これはやばい。この時2015年10月上旬でした。

他の書類は1週間程度で集め終えましたが、TOEFL iBTは試験会場や試験日程が限られているため非常に困りました。

最寄りの会場は2015年の試験全日程を終了しており、あらゆる試験会場を調べた結果、2週間後に札幌で試験を受けることになりました。

日程的に最初で最後のチャンスでした。

 

この試験でスコアを80点以上取る必要があります。

留学が掛かっているので、その日から研究の合間を縫って狂ったように猛勉強しました。

 

 

いざ、札幌へ!TOEFL iBT試験

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今後の留学のために節約もしたかったし、直前で航空券も高かったので、行きは新幹線と在来線を乗り継ぎ、帰りはフェリーで札幌を往復することになりました。それでも5万円前後の急な出費。。。

 

試験準備はというと、一通り参考書はこなしましたが、2週間では焼け石に水で、かなりの不安を抱えながら試験に臨むことになりました。特にリスニングとスピーキングに不安を抱えて。

しかし、やるしかない。それにフィリピンで語学留学もしたじゃないか!会話には自信がある方じゃないか!

 

masa-saito.hatenablog.com

そうです。私は2012年の春に1ヶ月フィリピンに語学留学に行きました。そこで、全く話せないレベルから日常会話は問題ないレベルまで英会話能力が上達しました。

 

きっと、本番はうまくいくだろう。

 

自分の内なる能力を信じて試験に臨みました。

 

試験会場に行くと、なんだか頭の良さそうな人々が集まっていました。おそらく留学を目指す北大生やその近隣の学生達でしょう。

ここで私の根拠のない自信が登場します。

 

私  (よし、俺、いける!!!)

 

ポジティブシンキングの一種ですが、試験の時、この性格は結構いい方向に傾いてくれます。

ここにいる学生よりもいい点を取ってやろう。

試験開始の合図とともに、全神経を問題に集中させた。

 

 

 

 

 

 

 

…やりきった。

 

 

 

 

…もう何も考えられない。

 

 

 

 

すべてを出し切って、フラフラの頭で札幌を出て、フェリーに乗って帰りました。

もう、結果は神のみぞ知るだろう。人事を尽くして天命を待つ。もう待つしかないんだ。

 

そう言い聞かせながら祈るように過ごした1週間後の暖かな休日の昼下がり、

 

 

80点に満たない試験結果とともに絶望に打ちひしがれた。

 

それは、2015年10月下旬のことでした。

 

 

続く。