村上陽一郎著「科学者とは何か」を読んで
こんにちは。
最近読んで目から鱗が落ちた本についての備忘録です。
https://www.amazon.co.jp/科学者とは何か-新潮選書-村上-陽一郎/dp/4106004674www.amazon.co.jp
この本の内容に入る前に、自分の研究者像について少しおさらいします。
研究者とは、
- 知的好奇心に従って真理を追究する
- 世の中に「便利」を作り出す
といったイメージがありました。
特に、自分の研究者になる動機は「ただ研究が楽しいから」という理由であり、
上記では「知的好奇心に従って真理を追究する」という項目に該当します。
この本を読んだ後に、見事にこのイメージが覆されました。
科学者の責任とは?
原子核物理学で大きな進歩があった1900年代中盤、科学者たちは知の探求に邁進していた。新しい発見をしては、論文に投稿し、自分の成果を増やす。こういった科学者たる行動が、原子爆弾の作成へと続いていることについて、当の本人たちはほとんど自覚していなかった。
一部の科学者は、それを自覚し、原子核物理に関する新しい発見をしていたにもかかわらず、それを出さずにライヴァルチームの研究者にも同様の研究をやめるように働きかけた。
しかし、それは聞き入られることはなかった。そしてあの日、原子爆弾は日本に落ちた。
当の科学者たちは、原子爆弾が落ちた数日後の電話で、初めて自分の研究が悪用された可能性について考えたそうだ。
科学者は、もう「知の探求」という免罪符に守られる存在ではなくなったと考えることができよう。一般社会と同様に、自分に知の探求のその先にあるものを見据えて日々研究をすべきであると言える。言い換えれば、研究の社会的な影響、または研究が社会的に需要があるのかという点を説明できなければならない(後者は持論を付加した)。
科学界が社会に寄り添うように発展していくためには、まずは「古き良き科学者」を捨てて、新しい科学者像、社会を見据えることができる研究者を個人個人目指す必要がある。
としている。
自身の科学者像に対する影響
この本を読んで変わった部分と変わらなかった部分がある。
変わった部分
- 研究者はもっと社会的影響を考えるべき
- 研究を社会に説明する責任を持つ
変わらない部分
- 知の探求に従う
研究者は自身の研究が社会にどのような影響を与えるかもっと考えるべきだし、分かりやすいように説明すべき。
なぜなら、研究費の大半は国民の税金で成り立っているし、研究者は、自身の研究資金元にどのようなことをしているか説明すると考えるのは自然のように思える。同時に、社会にどう貢献するか説明する義務のようなものがあると考えられる。
一方で、原子核物理のように一度悪用されると人類に大きな影響を及ぼしかねない技術開発に繋がる研究は、やめるべきとまでは言えず、倫理を持って悪用せず、それよりも良い使い道を考える(例えば、原子力発電。環境汚染を考えると最も発電効率が良い発電方法だと信じている。福島事故があり、声を大にしては言えないが。)。
付け加えておくと、一見、社会的影響がない研究でも、長いスパンで社会に影響を与えうる研究は継続する方が良いと思う。
例えば、ブラックホールの正体を突き止めても我々の生活が変わることはないが(社会的影響がない?)、知の探求の姿勢を子供達が目の当たりにすれば、いずれ科学の興味が科学者になる動機として後押しするかもしれない(長いスパンで社会的影響)し、日本が初めてそれを解明したとすれば、嬉しいニュースで国民は喜ぶであろう(社会的影響!)。
我々の暮らしを豊かにしたり、守ったりすることに繋がる研究はもっと増えるだろうし、そうでない研究も、挑戦的な研究は、科学者の憧れを少年少女に与える重要な源だ。
研究は、少年の心を持った大人がただ知の探求に邁進するものではなく、社会的意義のある創造的な仕事なのだ!
しばらくこの本を読んでから呆然としてしまったが、何か時計の針が正しい方向に動き出した気がして、今はすっきりした気分。
自分が所属する大気科学は気象・気候変動に密接に関わっている。つまらない研究者にはなりたくないけど、(社会的に)つかえない研究者にはもっとなりたくないよね。
さて、仕事に戻りますかね。
職場近くのスターバックスでコーヒーを飲みながら。