テキサス研究留学日記

テキサスに放牧された大学院生が博士号を取るまでの奮闘記と、その後の話。

SSN 取得について(H1-B visaの場合)

こんにちは。Dr. Saitoです。

 

テキサスに帰って来て一週間余りが経とうとしています。

 

ハリケーンHarveyの混乱の中、2日で生活に必要な最低限の備品を整え、勤務初日に早速プロジェクトを任されました。

 

時差ボケになる暇もなく、せっせと研究に励んでいるような状況です(少し時間ができた頃にまとめたいと思っている)。

 

さて、今日はSocial Security Numberの取得手続きをして来ましたので、備忘録に。と言っても、思っていたよりも非常に簡単でした。

 

Social Security Number (SSN)とは社会保障番号と言って、アメリカ国内で収入をを得る人に必要なものです。いわば、マイナンバーのようなもので、強力な身分を証明するものにもなる。

 

 

やる(やった)ことを箇条書き:

1)アメリカ出入国記録(Form I-94)を取得し、2枚コピーする。

URL: https://i94.cbp.dhs.gov/I94/#/home(注)米国国内からのみアクセス可能

2)SSN 申請書をオンラインからダウンロードして記入

URL: https://www.ssa.gov/ssnumber/(注)米国国内からのみアクセス可能

3)入国後10日から2週間経ったところで、最寄りのSocial Security Administration Officeに行く(予約可だが、なくても大丈夫)

4)Form I-94 x2を提出し、パスポートのコピーをとって提出する。

5)4営業日で発行手続きが終了し、それから1〜2週間で手元に郵送される。

以上です!

 

1、2はオンラインでダウンロードするだけ。

3は、入国の情報が社会保障局に伝わっていないと、手続きが大幅に遅れる可能性があるため、念のため10日〜2週間おくと良いそうです。

4も、H1-b visaなら面接もなく、ただの書類提出だけでした。他の人は、別室に連れて行かれたり、10分以上も面接していたりと時間がかかっている人もいましたが、就労ビザはそのような心配はいらないようです。

 

SSNが取得できたら、次はテキサス州運転免許証の再発行です。

続く。

テキサス研究留学日記まとめ

こんにちは。Dr. Saitoです。

 

博士課程後期で行ったテキサス研究留学をまとめました。

 

 

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テキサス研究留学日記(6)〜完遂編〜

続きを書きます。

 

 

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夏真っ盛りのテキサス

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テキサスに来て7ヶ月半が経ち、大学にも新入生がちらほら顔を出すようになってきた頃、突然残り滞在期間がおよそ半分になった私は、研究室にこもって作業に没頭していた。何しろ、その時まだ解析ソフトウェアの改良中だったのである。終盤の1ヶ月は本当に重要なのだ。しかし、“たられば”を言っても仕方がない。テキサス州内の旅行の計画も取りやめて論文書きと解析アップデートを同時並行で行っていた。

 

その頃には、指導教員の「論文書け書け」圧力も日に日に増していったが、信頼も勝ち取っていた。褒められることが多くなってきた。

 

9月の上旬、ようやく解析ソフトウェアが完成し、論文の材料が整った。あと2週間で書ききって投稿すれば良いのだ。新学期も始まり、セミナーの機会も増えていった。

 

研究室外でも楽しいことは増えていった。この頃には、拙い英語ながら英会話の抵抗がほとんどなくなっており、友達とご飯を食べに行くなど複数人数で外出する機会が多くなった。今振り返ってみると、仕事の密度的にも、夜や休日の楽しさ的にも9月が最も充実していたように思える。

 

帰国する1週間前、このテキサス滞在の集大成とも言える30分のプレゼンテーションがあった。そこにはNASAの衛星のプロジェクトリーダーだったKing博士がいた。論文でしか見たことがない人。有名人にあった時のような興奮と感激を覚えた。

 

プレゼンテーションには自信があった。自身の研究は衛星観測から雲の氷粒子の形の特徴を推定する手法の開発で、それ自体があまりない新しいテーマであった。加えて、(自画自賛にはなるが)緻密に積み上げた理論から得られる結果は新しく、研究の妥当性・信憑性には自信があったのだ。

 

プレゼンテーション中、King博士から光栄ながらなんども質問を受けた。そして、プレゼンテーション終了後にも質問やコメントをもらった。さらに、指導教官はKing博士こんなことを言った。

 

指導教官「こいつはとてもいいクオリティの研究をしているんだ。論文の議論に加わってくれないか?」

 

King博士「よろこんで」

 

こうして、幸運なことにKing博士にも研究を見ていただけることになった。こんなエキサイティングなこともありながら、なんとか期間内に論文を書き上げた。共著者との議論やチェックがあり、期間内での投稿は無理だったが(1週間後に投稿)、指導教官からは合格点をもらった。

 

 

こうして、どん底のスタートを切った私のテキサス研究留学もなんとか華々しい成果を上げて終えることができた…かに思えた。

 

 

え、テキサス研究留学日記もようやく完結する此の期に及んでまだ何かあるのかって?

 

 

それはある日、嬉しそうにテキサスの指導教員が私のオフィスに飛び込んできた。

 

指導教員「お前を雇う研究費を獲得したんだ。博士をとったらテキサスに来ないか?」

 

私「…!」

 

 

どうやら、このテキサス研究留学日記は別の形で続くかもしれません。日本に帰国後に行われた大統領選挙でトランプ大統領が当選し、最近までゴタゴタした話はまた今度。

 

 

たとえ暗闇のトンネルの中でも、頭をぶつけながら進み続ければ、いずれ光が見え、出口にたどり着くのだろう。泥だらけになり、傷を作りながらも、光を背にしてたくましい顔で笑いながらこう呟くのだろう。「挑戦し続けよう、できるまで。」

 

テキサス研究留学日記、ひとまず(?)完結

テキサス研究留学日記(5)〜盛栄編〜

続きです。

 

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アメリカ研究生活にも変化の兆し

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テキサスにきて4ヶ月が経とうとしていたある日、研究同期の友人が隣国の学会に行く途中にヒューストンに立ち寄るとのことだったので、一緒に遊ぶことにした。これまで孤独との戦いだったので、お互いを良く知る同業者との会話は身体にこびりついたストレスを発散するのによかった。テキサスに来て起こったこと、お互いの近況報告など会話が盛り上がった。

 

少しずつ、歯車が回り始める。研究室では度々指導教員が自分のオフィスを訪れる。

 

指導教官「最近の進捗はどうだ?」

 

私「順調に進んでいます」

 

指導教員「そうか。Good. 」

 

仕方がない。だって見せられる結果が無かったのだから。こんなやりとりがここ3ヶ月以上進んでいたが、ついにたたき台となる解析ソフトウェアが完成し、新しい結果が出た。それは5月の暖かな日のことだった。

すると指導教員の言葉も変わってきた。

 

指導教員「最近の進捗はどうだ?」

 

私「(20秒程度で簡潔に新しい結果を述べる)」

 

指導教員「そうか。Great!」

 

たった一言の違いだったが、無機質なGoodに嫌気がさしていた私にとってはとんでもなく嬉しい言葉だった。ようやく、先生にも少しはできるやつだと認められたかな?徐々に自分が研究者としての自信をつけていくことがわかった。

 

それからは、指導教員はオフィスを訪れて進捗を聞くのではなく論文の準備をしろという言葉に変わってきたが、私は得られた結果をより詳細に解析したり、解析ソフトウェアのアップデートをしたりしていた。ダイヤモンドの原石を輝く宝石にするが如く 解析データの質を向上させんと一生懸命磨いた。それはもう、楽しくてたまらない期間だった。

 

真夏の青天の霹靂

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気がつけば、テキサスの夏も盛る7月を迎えていた。

 

日本にいる指導教員とは月一回のビデオ会議で進捗報告をしていた。テキサスに渡航した当初は、これまでの研究のインパクト的にとても3年で博士課程を修了する ことが考えられなかったが、少しずつ、博士論文の話が出始めていた。この頃は、平日は研究を進めつつ、博士論文と、テキサスの研究の学術論文を執筆し、休日はしっかり休みつつテキサスの夏を満喫していた。といっても暑すぎるのでもっぱら屋内で過ごすのだが。

 

たまに休日に研究室に行っては自分のアイデアに従って解析を行うことが楽しかった。

 

私「こんな生活ずっと続くといいな。」

 

そんなことを思いながら、残り滞在期間が2ヶ月半となった8月のある日、事態は急変した。

 

4月に海外学振特別研究員に応募しており、 来年度の研究課題の採択合否を知らせるWeb画面がこんなことを言っていた。

 

「あなたは面接候補になりました。」

 

そしてその面接日を見ると9月… 

 

私「ん?9月?」

 

あと2ヶ月半あった期間が瞬く間に1ヶ月半に変わった。テキサスに渡航する際の約束だった論文提出に暗雲が立ち込めてきた。ここから私の博士学生人生のものすごいラストスパートが始まるのであった。

 

 続く。

 

ちなみに、海外学振特別研究員の面接はことらにまとめられています。

 

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