テキサス研究留学日記

テキサスに放牧された大学院生が博士号を取るまでの奮闘記と、その後の話。

テキサス研究留学日記(2)〜準備から出発まで〜

こんにちは。Mr. Saitoです。

 

前回記事の続き。

masa-saito.hatenablog.com

 

次の手段

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失意の日々が数日続きましたが、最終手段にでます。

 

TOEFL iBTスコアがない場合は、渡航先の大学の留学生科の職員と直接ビデオ面接をして、十分な語学力があるかどうか判断され、合格・不合格が決まります。

 

ビデオ面接を申し込んでからは、会話の猛練習をしました。留学が決まってから英会話スクールに通っていたのですが、面接の練習もしていただいて、しっかり準備することができました。

 

そのおかげで、なんとかビデオ面接を合格したのです。

 

というか、質問が簡単すぎて、本当にTOEFL80点レベルなのだろうかと心配になりましたが。

 

とうとう最後の書類が揃い、VISA申請のための書類をまとめて一旦アメリカの受け入れ先の大学に送ります。この時11月上旬。VISA面接を受けるために必要なDS2019を受け取ったのが11月下旬でした。

 

VISA面接へ東京へ

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さて、VISAの面接の予約を取り、12月上旬に東京都内にあるアメリカ大使館に赴きました。非常に混むので朝8時30分には大使館の門の前にはいたと思います。出国審査並みのセキュリティーチェックを受けて中に入りました。それまでに様々なブログ(渡航関係)を読み、どの程度時間がかかるか、どんな質問が来るかなどはリサーチ済みです。

 

 

。。。あれ。あれれ。

 

 

なんと、3時間程度待つと覚悟していたら30分も経たずに呼ばれ、簡単な質問を受け答えしただけでVISAが発布される事が決まってしまった。こんなに簡単なのか。

 

気になって後で調べてみると、留学目的や留学先の招待状があるとそんなに時間がかからないという事だった。

 

ちなみに、VISA面接の予約はなるべく早く取ったほうがいいでしょう。混雑時には予約が1ヶ月先になる事もザラだとか。三日後に取れた私はかなりラッキーでした。

 

翌週にはVISA付きのパスポートが帰ってきました。これで、ようやく留学に行けることが決まりました。すこし、ヤキモキしていたのは、その翌週にアメリカ出張があったという事。今回はVISAを使わない滞在ですよとなんども入国審査で念を押した。

 

 

ついに出国1週間前

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いよいよ出国まで1週間となったクリスマスの日、受け入れ先の大学の研究室の学生で、自分が所属する研究室の後輩だった子が研究室訪問してきた。彼は、僕にアメリカでどんな研究をやるのか興味があったらしく、僕も何かコメントが欲しいなと思い、研究計画書を見せた。

 

俺 「。。。どうだろうか?」

彼 「これほとんど私の研究と同じ内容ですよ。

俺 「」

俺 「。。。え?」

 

半年に渡って準備してきたが、もうすでにやられていただなんて。1年前、彼の発表を国際学会で聞いた時は、この内容とは違ったのに。彼に訊いてみると、同時並行で私の研究と似た事もやっていたという。これは、自分のリサーチ不足だった。

さらに話を訊くと、かなり研究は進んでいるようだった。自分のやりたいことをやっているので、研究の説明を聞いている時は楽しかったのだが。

ともあれ、同じ研究を同じグループでやるわけにもいかないので、急遽研究計画を練り直す事になった。

 

ただ、半年かけて練ってきた研究計画に匹敵する質のものは数日で書けるわけもなく、これまで書き留めてきた研究アイデアノートとにらめっこしつつ、時は過ぎていった。この時は吐きそうなくらい追い詰められていた。

 

数回、自身の指導教官に研究計画案を提出するも、すべて却下された。質が足りないと。そらそうだよなぁ。

 

そうこうしているうちに、出発の日が近づいてきた。結局、研究アイデアノートの中で一番斬新なアイデアを元に、研究のアウトラインだけ決めてなんとかGOサインが出たので、とりあえず、研究室を後にした。

しかし、実現可能性を含めて何一つ先が見えない。「D4*1」がちらついた状態である。

 

そして出発の日。両親は、僕の事を心から応援してくれた。成田空港に向かう車中、幾ばくの寂しさを憶えた。

 

これからの10ヶ月は、自分の研究者としての能力が試される。裸一貫でいいじゃないか。やってやろう。 

 

押しつぶされそうな不安の中にも、身体の奥底からメラメラとやる気が湧いてくるのを感じながら、飛行機はヒューストンに向けて飛び立った。 

 

続く。

*1:博士課程後期を3年で卒業できないという事

こんなショッピングモールには行きたくない

ふと、妻とこんな話題になった。

 

妻 「ショッピングモールにいきたい。」

私 「家からすぐ近くにあるから行こうよ。」

妻 「あそこはつまらないからいい。ヒューストンに行く。」

私 「でも、家の近くのモールだっていくつかお店あるよ。」

妻 「私はあのモールに魅力を感じないの。」

私 「」

 

一度だけ二人で近くのモールに行ったことがあるが、幾つかの店舗はよく行くお店だったりするのに、なぜ妻にとっては魅力的ではないのか不思議だった。

 

確かに、店舗数ではヒューストンのそれと比べると少ないが、数時間の時間つぶしには問題ないと思ったからだ。

 

様々な質問をして、ある程度は原因について理解できたので、それをまとめることにする。

 

⒈モールの魅力度は加点方式

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モールの店舗それぞれの魅力度を足し算して、合計値が閾値を超えるかどうかで、魅力的かどうかが決まるらしい。

例えば、H&MやForever 21と同じような魅力の店舗が5店舗含まれているモールと、10店舗含まれているモールでは、後者のモールの魅力度が前者のそれの2倍であるということだ。

またこの場合、前者のモールの魅力度は閾値に達せず、あまり魅力的に思えないことがわかった。

 

それでは、店舗数が圧倒的に多いモールであれば、個々の店舗の魅力度が低くても魅力的に思えるのだろうか?

 

 

⒉店舗の魅力度は対数スケール

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例えばだが、店舗を5種類に分けるとする。

 

1)興味ない、寄らない店舗

2)特に好みではないが、モール内にあればごく稀に寄る店舗

3)まあまあ好きで、モール内にあれば、近くを歩いていたら寄る店舗

4)好きで、モール内にあれば必ず寄る店舗

5)大好きで、モール内1時間以上過ごせる店舗

 

ここで魅力度の点数のつけ方は順番通り1〜5点とはならない。

 

1点)興味ない、寄らない店舗

10点)特に好みではないが、モール内にあればごく稀に寄る店舗

100点)まあまあ好きで、モール内にあれば、近くを歩いていたら寄る店舗

1000点)好きで、モール内にあれば必ず寄る店舗

10000点)大好きで、モール内1時間以上過ごせる店舗

 

つまり、興味のない店舗や、ごく稀に寄る程度の店舗は加点にさほど影響しないのである。1000点を超えるような好きな店舗がいくつあるかということが重要なのである。

 

大概この場合、魅力的かどうかの閾値は10000点程度となるはずである。

5)の好きなブランド店舗があれば、それ自体がモールに行く目的となりうるからである。

そして、大事なのが、この閾値は、モールに滞在する時間の関数になっていないのである。つまり、たとえ数時間や30分の時間つぶしのためであっても、閾値に達していないモールは魅力的に映らないから寄りたくないのである。

 

魅力度を測ってみよう

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渋る妻を説得して、自宅からすぐ近くにあるモールへと出かけた。

www.postoakmall.com

そのモールは一体どれくらいの魅力度なのだろうか?

 

計算した結果、

1000点 3店舗

500点 2店舗

100点 5店舗

それ以下 多数

ということで、合計4500点程度であり、閾値の10000点を超えることができなかった。

 

というわけで、家の近くのショッピングモールは、妻にとって魅力的に映らないということがわかった。

 

しかし諦めてはいけない。このショッピングモールの点数(基礎点)に加え、同行者の話術などで加点もあり得るので、そのショッピングを楽しいものにするには、自分の話の引き出しを豊富にすることも重要なのだ。

 

ショッピングスポットが限られているので是非とも話術で残りの5500点を稼ぎたいですね。

 

モノに頼ってはいけない。日々努力である。

それでは。

村上陽一郎著「科学者とは何か」を読んで

こんにちは。

 

最近読んで目から鱗が落ちた本についての備忘録です。

https://www.amazon.co.jp/科学者とは何か-新潮選書-村上-陽一郎/dp/4106004674www.amazon.co.jp

 

この本の内容に入る前に、自分の研究者像について少しおさらいします。

 

研究者とは、

  • 知的好奇心に従って真理を追究する
  • 世の中に「便利」を作り出す

といったイメージがありました。

特に、自分の研究者になる動機は「ただ研究が楽しいから」という理由であり、

上記では「知的好奇心に従って真理を追究する」という項目に該当します。

 

masa-saito.hatenablog.com

 

 

この本を読んだ後に、見事にこのイメージが覆されました。

 

科学者の責任とは?

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原子核物理学で大きな進歩があった1900年代中盤、科学者たちは知の探求に邁進していた。新しい発見をしては、論文に投稿し、自分の成果を増やす。こういった科学者たる行動が、原子爆弾の作成へと続いていることについて、当の本人たちはほとんど自覚していなかった。

 

一部の科学者は、それを自覚し、原子核物理に関する新しい発見をしていたにもかかわらず、それを出さずにライヴァルチームの研究者にも同様の研究をやめるように働きかけた。

 

しかし、それは聞き入られることはなかった。そしてあの日、原子爆弾は日本に落ちた。

 

当の科学者たちは、原子爆弾が落ちた数日後の電話で、初めて自分の研究が悪用された可能性について考えたそうだ。

 

科学者は、もう「知の探求」という免罪符に守られる存在ではなくなったと考えることができよう。一般社会と同様に、自分に知の探求のその先にあるものを見据えて日々研究をすべきであると言える。言い換えれば、研究の社会的な影響、または研究が社会的に需要があるのかという点を説明できなければならない(後者は持論を付加した)。

 

科学界が社会に寄り添うように発展していくためには、まずは「古き良き科学者」を捨てて、新しい科学者像、社会を見据えることができる研究者を個人個人目指す必要がある。

 

としている。

 

 

 

自身の科学者像に対する影響

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この本を読んで変わった部分と変わらなかった部分がある。

 

変わった部分

  • 研究者はもっと社会的影響を考えるべき
  • 研究を社会に説明する責任を持つ

変わらない部分

  • 知の探求に従う

 

研究者は自身の研究が社会にどのような影響を与えるかもっと考えるべきだし、分かりやすいように説明すべき。

なぜなら、研究費の大半は国民の税金で成り立っているし、研究者は、自身の研究資金元にどのようなことをしているか説明すると考えるのは自然のように思える。同時に、社会にどう貢献するか説明する義務のようなものがあると考えられる。

一方で、原子核物理のように一度悪用されると人類に大きな影響を及ぼしかねない技術開発に繋がる研究は、やめるべきとまでは言えず、倫理を持って悪用せず、それよりも良い使い道を考える(例えば、原子力発電。環境汚染を考えると最も発電効率が良い発電方法だと信じている。福島事故があり、声を大にしては言えないが。)。

 

付け加えておくと、一見、社会的影響がない研究でも、長いスパンで社会に影響を与えうる研究は継続する方が良いと思う。

例えば、ブラックホールの正体を突き止めても我々の生活が変わることはないが(社会的影響がない?)、知の探求の姿勢を子供達が目の当たりにすれば、いずれ科学の興味が科学者になる動機として後押しするかもしれない(長いスパンで社会的影響)し、日本が初めてそれを解明したとすれば、嬉しいニュースで国民は喜ぶであろう(社会的影響!)。

 

我々の暮らしを豊かにしたり、守ったりすることに繋がる研究はもっと増えるだろうし、そうでない研究も、挑戦的な研究は、科学者の憧れを少年少女に与える重要な源だ。

 

研究は、少年の心を持った大人がただ知の探求に邁進するものではなく、社会的意義のある創造的な仕事なのだ!

 

しばらくこの本を読んでから呆然としてしまったが、何か時計の針が正しい方向に動き出した気がして、今はすっきりした気分。

 

自分が所属する大気科学は気象・気候変動に密接に関わっている。つまらない研究者にはなりたくないけど、(社会的に)つかえない研究者にはもっとなりたくないよね。

 

 

さて、仕事に戻りますかね。

 

 

職場近くのスターバックスでコーヒーを飲みながら。

夏真っ盛り

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毎日35度まで気温が上がり、テキサスもいよいよ真夏に突入といったところです。

 

weather.com

 

 

留学も半年が過ぎて、いよいよ研究も佳境に突入です。ここまであまり休まずに突っ走ってきたので、少し余裕が出てきました。

 

もちろん、やることはたくさんあるのですが、少しずつ、テキサスの日常を楽しもうと時間を作っていこうと思います。

 

それでは!

テキサス研究留学日記〜留学が決まってから準備まで〜

こんにちは。Mr. Saitoです。

研究の関係で長らくブログから遠ざかっていましたが、少し落ち着いてきたので再開します。

 

さて、現在私は留学を開始して5ヶ月半が経とうとしています。

思い出の整理も兼ねて、留学が決まってから現在までを少しずつ纏めていきたいと思います。

 

masa-saito.hatenablog.com

 

 

研究留学のきっかけ

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博士課程に進学後、運良く日本学術振興会の支援を受けることができました。

その選考プロセスで、博士課程3年間の研究計画を書くのですが、自分の研究にも経験としてもいいだろうと思い、半年程度の留学期間(研究滞在)を勝手に設けて書類を提出した、というのがことの始まりでした。

 

もちろん先方の先生にも連絡は取っていませんでした(私の指導教官は知り合いでしたが)。

 

その時の研究計画では博士課程2年の9月から3月までとしていました。滞在先での研究内容は、博士課程1年から2年次の前半までに開発する解析システムを、渡米半年間で成熟させる、というもので、その研究内容がそのまま博士論文になるという予定でした。

 

しかし、博士課程は、自分の研究だけやればいいとはいかず、様々な雑務や教育の仕事がありました。例えば、研究室のサーバーや計算機のメンテナンスをしたり、後輩の研究に助言をしたり、先生のお手伝いをしたり。

もちろん、それらは自分の糧になるし、教育は自分の分野の理解を深めるので全く嫌ではなかったのですが、思っていた以上に研究計画が計画通りにうまくいかず、身を粉にしても博士課程2年の夏の時点で、システムの設計がようやく終わった段階で、開発作業に取り掛かれずにいました。

 

そんな博士課程2年の夏の時期、指導教官に呼ばれました。恐る恐る先生の部屋に入ると、一言。

 

先生 「テキサスにはいつ行くの?先方にはもう話ついているから」

私  「」

 

先生は研究が進んでいようがいまいが予定通り計画を遂行することのようでした。

ということで、テキサス行きが決まりました。急だったので、期間を2〜3ヶ月に短縮し、研究計画も元々やる予定だったシステム開発ではなく、現在結果が出つつある他の研究の議論と、人脈作りという目的で研究滞在しようということになりました。

程なくして先方から連絡が入り、9月から来れないか?という連絡が入り二つ返事で承諾しました。これが2015年7月中旬のことです。

 

しかし、雲行きは急に怪しくなります。3ヶ月滞在の計画を先方に送ったところ、「3ヶ月は短すぎる、少なくとも1年だ」と言われてしまいました。

この時8月上旬。観光ビザでは3ヶ月以上滞在できないので、交換留学ビザが必要であり、その手続きを1ヶ月以内に終えるのはとても無理でした。

 

アメリカに留学できるなんて、嬉しくって友人にも話していたので、その時は大きな失望でした。

 

しかし、私も諦めません。

なんてったって、一度決めたらとことん執着するタイプなので笑

 

結局、博士論文の提出時期も考えて2016年1月から10月末までの10ヶ月間で先方に御願いをし、承諾してもらうことができました。この時2015年8月末でした。

 

 

研究留学の準備

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早速、先方からInvitation letterが届きました。2015年8月31日でした。

 

私 「よし、これから4ヶ月でしっかり準備して、良い研究滞在にするぞ」

 

と気合を入れていました。

しかし、口を開けていれば留学ができるものと思っていましたが、そうではないのですね笑

 

気合を入れ続けて1ヶ月経った結果、先方から「君は留学のためのプロセスを踏む必要がある。詳しくは大学の留学生科に問い合わせてくれ」というメールをもらいました。

 

Invitation letter以来メールはもらっておらず、留学の手続きを指示されるのだろうと思っていましたが、そこはアメリカ、自分で調べて自分で手続きを進めなければなりませんでした。今考えると当たり前ですよね笑 

 

結局、大学に郵送する書類は以下のものが必要でした。

  • 大学院時代の成績証明書
  • 留学期間中の収入の証明書類
  • 銀行の預金残高の証明書
  • CV(履歴書)
  • 旅行保険の証書コピー
  • 研究計画書
  • パスポートコピー
  • 英語学力証明書

 

私  「え、英語学力証明書???」

 

考えてみれば当たり前ですが、留学にはそれ相応の語学力が必要となります。しかし、私はTOEFL iBT等の試験を受けたことがありませんでした。

 

これはやばい。この時2015年10月上旬でした。

他の書類は1週間程度で集め終えましたが、TOEFL iBTは試験会場や試験日程が限られているため非常に困りました。

最寄りの会場は2015年の試験全日程を終了しており、あらゆる試験会場を調べた結果、2週間後に札幌で試験を受けることになりました。

日程的に最初で最後のチャンスでした。

 

この試験でスコアを80点以上取る必要があります。

留学が掛かっているので、その日から研究の合間を縫って狂ったように猛勉強しました。

 

 

いざ、札幌へ!TOEFL iBT試験

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今後の留学のために節約もしたかったし、直前で航空券も高かったので、行きは新幹線と在来線を乗り継ぎ、帰りはフェリーで札幌を往復することになりました。それでも5万円前後の急な出費。。。

 

試験準備はというと、一通り参考書はこなしましたが、2週間では焼け石に水で、かなりの不安を抱えながら試験に臨むことになりました。特にリスニングとスピーキングに不安を抱えて。

しかし、やるしかない。それにフィリピンで語学留学もしたじゃないか!会話には自信がある方じゃないか!

 

masa-saito.hatenablog.com

そうです。私は2012年の春に1ヶ月フィリピンに語学留学に行きました。そこで、全く話せないレベルから日常会話は問題ないレベルまで英会話能力が上達しました。

 

きっと、本番はうまくいくだろう。

 

自分の内なる能力を信じて試験に臨みました。

 

試験会場に行くと、なんだか頭の良さそうな人々が集まっていました。おそらく留学を目指す北大生やその近隣の学生達でしょう。

ここで私の根拠のない自信が登場します。

 

私  (よし、俺、いける!!!)

 

ポジティブシンキングの一種ですが、試験の時、この性格は結構いい方向に傾いてくれます。

ここにいる学生よりもいい点を取ってやろう。

試験開始の合図とともに、全神経を問題に集中させた。

 

 

 

 

 

 

 

…やりきった。

 

 

 

 

…もう何も考えられない。

 

 

 

 

すべてを出し切って、フラフラの頭で札幌を出て、フェリーに乗って帰りました。

もう、結果は神のみぞ知るだろう。人事を尽くして天命を待つ。もう待つしかないんだ。

 

そう言い聞かせながら祈るように過ごした1週間後の暖かな休日の昼下がり、

 

 

80点に満たない試験結果とともに絶望に打ちひしがれた。

 

それは、2015年10月下旬のことでした。

 

 

続く。

夕焼けサイクリング

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今日は夕方に涼しくなってきたので、サイクリングに出かけました。大学の周りをぐるりと1時間程度(大学がめちゃくちゃ広い)楽しみました。

 

日中は殺人的な日射と30度ほどの気温で外出するのもゲンナリしますが、夕方は外に出るのにちょうどよく、自転車をこぐと風が気持ちいいです。

 

最近更新が滞っていますが、元気でやっています。おかげさまで研究も順調です。

宇宙から人工衛星に搭載した測器で電磁波を測り、その信号から雲の特徴を推定する研究をしているのですが(つまり雲の研究!)、結構アイデア勝負なところがあって、日々色々考えては試行錯誤しています。

 

大変のように思えるかもしれないけど、この時間が研究の中で何よりも楽しいんだよね。

 

あと1ヶ月半くらいは試行錯誤を続けられそうです。明日からまた一週間頑張ります。

留学も折り返し

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研究がなかなか忙しくなってきた。

こっちに来てから開発をしてきたシステムがようやく出来上がってきて、新しい結果が出始めた。

博士論文の執筆に光が見えてきたが、もっとこのシステムを向上させて、一歩先のことをしたいという気持ちにもなってきた。

 

気づけば留学も折り返し。研究もそうだけど、もう少し語学の勉強もしたいと思う今日この頃。欲張り過ぎるかな。