テキサス研究留学日記のその後の話(後編)
こんにちは、Dr. Saitoです。
今回のテキサス渡航の話の続き(最終話)です。
苦難を乗り越えて自信をつかめ!
3ヶ月のプロジェクトを任され、とてつもない不安に襲われながらも初日の仕事が終わりました。幸運にも、その日は金曜日で、週末に精神的・肉体的な疲れを回復することができます。ドタバタした中での唯一の収穫は、英語に対して、前回ほどの苦労がないという点でした。もちろん、流暢に英語を話すことはまだできませんが、基本的な生活をする上で語学力不足は感じませんでした。
さて2017年9月4日、月曜日です。
この頃には「とにかく、ボスは自分に期待してこのプロジェクトを任せてくれたんだ、それに自分の実力を示すチャンスだ。頑張ろう!!!」と思うようになり、やる気がメラメラと湧いていました。とにかく100%集中すれば、きっと3ヶ月で終わるはず!
しかし、そのやる気をあざ笑うかのように立て続けに仕事が降って来た。
- 学生が書いた論文の添削
- 科学研究費のプロポーザルアイデアの創出
- 3年プロジェクト(新しいテーマ)
そしてこう思った。
「きっと研究者の仕事量ってこんな感じなんだな。」
自分の中の固定観念がガラガラと崩れて、何か地殻変動が起きている気がした。
悩んでいる暇はないので、まずは論文の添削から始めました。しかしこれが鬼門で、論文のクオリティがあまりにも低く、結局ほとんどの章を書き直すことになりました。こんなことに時間を使っている余裕はないのに。
3年プロジェクトについては、去年の留学中に聞いていた内容でした。さすがに、ボスも今の3ヶ月プロジェクトを優先してくれという話をしていましたが。これは新しいテーマであり、ボスが私の研究者としての幅が広がるようにと与えてくれたテーマでした。
このように、様々な仕事が与えられた結果、プロジェクトを期限内に終わらせることができるかといった不安は不思議と消え去りました。そんな不安も感じている暇はないということです。すると、頭の中はクリアになり、不思議と3ヶ月プロジェクトのためのアイデアがたくさん出て来ました。
特に、家に帰ってシャワーを浴びている時にアイデアが浮かび、それを書きなぐって翌日デスクで数式の確認を行うといったことを繰り返していきました。これがResearcher's Highってやつかな?
私生活でも状況は好転して来ました。この町には数十人の日本人がいるようですが、そのうちの10人程度と知り合う機会がありました。みんなで一品持ち寄って居酒屋パーティーを行い、久々の日本の味覚を楽しむとともに、いろいろな暮らしの情報などを得ることができました。
その後、家具も必要なものは買い揃え、車も購入して行動範囲が格段に広がりました。研究では、まだまだ知識不足からなかなか研究が進まないような苦しい時期もありますが、学びと実践を繰り返して一歩一歩ゴールに向かっているような状況です。徐々に研究と生活の歯車が噛み合って来て、追い風で帆もいっぱいに膨らみ始めたような気がします。そして気づいたら、1ヶ月が経っており、筆をとることにしたのです。
雑感と今後の展望
研究者という職種は、お金も稼げないし仕事中もずっと楽しいわけではないので、これまでの学歴を考えると、金銭的には”割に合わない”仕事なのかもしれない。しかしながら、金銭以上の魅力があるからこそ続けられるのだと思います。
誰も知らない新しいことをやるのだから、最初は何もわからなくてなかなか研究が進みません。そういった苦しい時間を乗り越えて小さな進歩を得られるのです。そしてまた壁に当たり苦しい時間が流れ、またそれを乗り越える。そして最後の壁を乗り越えた時、何にも変えられない達成感が得られるのです。
その達成感は、論文という形となってこの世に出回り、自分の財産になります。これがもう最高なわけです。
さて、3ヶ月プロジェクトも全体のおよそ40%の時間が経過しました。まずはこれをしっかりと完了してボスの信頼を勝ち取ります。今後も、勉強と実践を繰り返して、研究者として一回りもふた回りも大きくなって、いずれ日本に戻って日本の科学技術発展と未来の研究者の育成に貢献しようと考えています。
自分の10年後を想像することは容易ではありません。でも、何かぼんやりとでも10年後のヴィジョンを持っていれば、それを叶えることは可能です。およそ15年前の中学校卒業文集で「10年後は科学の道に進むだろう」と書いていた、あの日の僕のように。
これから(まずは)3年後、自分は一体どうなっているかな?皆様にも一方的ではありますが、いち研究者の人生の歩みにお付き合いいただきます。
これからも、たまにここで近況を報告します。宜しくお願いします。