テキサス研究留学日記

テキサスに放牧された大学院生が博士号を取るまでの奮闘記と、その後の話。

理想と現実の狭間から

こんにちは、Dr. Saitoです。

 

現在、科学業界では若手研究者の待遇が非常に厳しいものになっている。

短い任期に加え、雑務や競争的資金獲得に割く時間の増加で腰を据えて研究できる環境が非常に少ない。

この状況をなんとか改善しようとノーベル賞受賞者をはじめとした著名な研究者の方々が声を上げているが、状況が好転する気配がない。

 

newswitch.jp

 

この記事に若手へのメッセージが書いてある。

 

「自分が何をやりたいのか一生懸命考え、恐れずやってみることだ。日本人にとって他人と違うことに挑戦することは怖い。ただ欧米は他と同じことやっていると埋もれてしまうという強迫観念があり、個性を示さないと生き残れない社会で競争している。業績づくりよりも自分のやりたいことが先にないと面白い研究はできない」

 

「本来、一人の研究者が年間に10本も論文を書くことはおかしなことだ。3年に1本良い論文を出していれば十分良い研究ができている。また科学者は楽しい職業だと示せる人が増えないといけない。雑務に追われる大学教授を若手が見ている現状では難しいかもしれない。米国でも同様の危機意識があり、資産家がコンソーシアムを組んで、自由に基礎科学を研究させる例もある」

 

「我々は財団と市民参画を通じて実現したい。私はノーベル賞を受賞の前後で研究者としての環境や評価は何も変わらない。受賞後、科学の窮状を説明し、市民と科学を近づける財団の活動に多くの賛同を頂いた。これは大きな励みであり、同時に本当に重いプレッシャーになっている」

 

おそらくほとんどの若手研究者がこのメッセージに賛同するであろう。残念ながら、これを100%現実の若手研究者の置かれる状況に当てはめてみると、特に2つ目のメッセージを実現することは難しい。

研究者を評価するシステムがそうなっていないからだ。私も大隅先生同様、今の研究者の評価するシステムは不完全だと思っている。個々の研究テーマよりも業績に重きが置かれている。

また、若手研究者の任期付きのポストがこれらの達成をさらに難しくしていると感じる。基礎研究や、学問を一から積み上げるような研究は、数年でできるものではないことが多い。その研究に必要な期間よりも任期の方が短いのであれば、そのような研究ができる環境ではないというのがわかるであろう。

かと言って、では若手研究者は諦めて業績重視の研究をするのであれば、それこそ大隅先生がおっしゃるように、日本の科学に未来はないと思う。

 

若手研究者が置かれた現実の中で、科学者としての理想を追い求めることが簡単ではない。しかしそれに適した環境がないのなら、若手研究者は自らの手で、その環境を作る努力をしなければならない。

そこで、私が行っている努力をここに記そうと思う。科学者の理想を体現するためのプランだ。この方法はひょっとしたら間違っているかもしれないが、これからの5年間をこの方法に賭けたいと思う。

 

まずは、現状の評価方法に従って全力で成果を上げ続ける。論文の質も大事だが数がなければ説得力がないので、主著10本に達するまでは、成果が出やすいテーマを中心に(でも、もちろん質も重視して)研究を進める。私の場合はすでに博士課程で主著論文を5本出版しているので、これは数年以内に終わるだろう。その間に、チャレンジングなテーマを練って温めておく。

 

主著が10本に達したら、長らく練っていたチャレンジングなテーマに取り掛かる。もちろん、成果の出やすいテーマも掛け持ちで。これにより論文出版ペースは年主著1本ペースになるかもしれないが、これまでの論文数があるので精神衛生上問題ない。むしろ集中してチャレンジングなテーマに取り組むことができる。

 

そしてそのテーマでブレイクスルーをもたらして、任期なしのオファーをもらって自分の研究室を開く。

 

 

 現状、自分の研究室を開くというのは夢だが、夢は叶えるもの。これから10年間、これを叶えるために頑張っていきたい。

 

さて5年後どうなるか?未来を切り開くのは自分自身。未来を切り開けるかどうかは自分の努力次第。