テキサス研究留学日記

テキサスに放牧された大学院生が博士号を取るまでの奮闘記と、その後の話。

理想と現実の狭間から

こんにちは、Dr. Saitoです。

 

現在、科学業界では若手研究者の待遇が非常に厳しいものになっている。

短い任期に加え、雑務や競争的資金獲得に割く時間の増加で腰を据えて研究できる環境が非常に少ない。

この状況をなんとか改善しようとノーベル賞受賞者をはじめとした著名な研究者の方々が声を上げているが、状況が好転する気配がない。

 

newswitch.jp

 

この記事に若手へのメッセージが書いてある。

 

「自分が何をやりたいのか一生懸命考え、恐れずやってみることだ。日本人にとって他人と違うことに挑戦することは怖い。ただ欧米は他と同じことやっていると埋もれてしまうという強迫観念があり、個性を示さないと生き残れない社会で競争している。業績づくりよりも自分のやりたいことが先にないと面白い研究はできない」

 

「本来、一人の研究者が年間に10本も論文を書くことはおかしなことだ。3年に1本良い論文を出していれば十分良い研究ができている。また科学者は楽しい職業だと示せる人が増えないといけない。雑務に追われる大学教授を若手が見ている現状では難しいかもしれない。米国でも同様の危機意識があり、資産家がコンソーシアムを組んで、自由に基礎科学を研究させる例もある」

 

「我々は財団と市民参画を通じて実現したい。私はノーベル賞を受賞の前後で研究者としての環境や評価は何も変わらない。受賞後、科学の窮状を説明し、市民と科学を近づける財団の活動に多くの賛同を頂いた。これは大きな励みであり、同時に本当に重いプレッシャーになっている」

 

おそらくほとんどの若手研究者がこのメッセージに賛同するであろう。残念ながら、これを100%現実の若手研究者の置かれる状況に当てはめてみると、特に2つ目のメッセージを実現することは難しい。

研究者を評価するシステムがそうなっていないからだ。私も大隅先生同様、今の研究者の評価するシステムは不完全だと思っている。個々の研究テーマよりも業績に重きが置かれている。

また、若手研究者の任期付きのポストがこれらの達成をさらに難しくしていると感じる。基礎研究や、学問を一から積み上げるような研究は、数年でできるものではないことが多い。その研究に必要な期間よりも任期の方が短いのであれば、そのような研究ができる環境ではないというのがわかるであろう。

かと言って、では若手研究者は諦めて業績重視の研究をするのであれば、それこそ大隅先生がおっしゃるように、日本の科学に未来はないと思う。

 

若手研究者が置かれた現実の中で、科学者としての理想を追い求めることが簡単ではない。しかしそれに適した環境がないのなら、若手研究者は自らの手で、その環境を作る努力をしなければならない。

そこで、私が行っている努力をここに記そうと思う。科学者の理想を体現するためのプランだ。この方法はひょっとしたら間違っているかもしれないが、これからの5年間をこの方法に賭けたいと思う。

 

まずは、現状の評価方法に従って全力で成果を上げ続ける。論文の質も大事だが数がなければ説得力がないので、主著10本に達するまでは、成果が出やすいテーマを中心に(でも、もちろん質も重視して)研究を進める。私の場合はすでに博士課程で主著論文を5本出版しているので、これは数年以内に終わるだろう。その間に、チャレンジングなテーマを練って温めておく。

 

主著が10本に達したら、長らく練っていたチャレンジングなテーマに取り掛かる。もちろん、成果の出やすいテーマも掛け持ちで。これにより論文出版ペースは年主著1本ペースになるかもしれないが、これまでの論文数があるので精神衛生上問題ない。むしろ集中してチャレンジングなテーマに取り組むことができる。

 

そしてそのテーマでブレイクスルーをもたらして、任期なしのオファーをもらって自分の研究室を開く。

 

 

 現状、自分の研究室を開くというのは夢だが、夢は叶えるもの。これから10年間、これを叶えるために頑張っていきたい。

 

さて5年後どうなるか?未来を切り開くのは自分自身。未来を切り開けるかどうかは自分の努力次第。

震災日記【東日本大震災時に記した3日間の手記】

こんにちは。Dr. Saitoです。

 

懐かしの日記転載シリーズ。

 

今日で東日本大震災から7年が経ちました。あの瞬間の出来事がもう7年も前のことだなんて、時の流れの速さを感じずにはいられません。

もちろん、”まだ”7年しか経

っていないので今も沿岸部に行くと復興にはまだまだ時間がかかることを感じるでしょう。

 

でも、恐ろしいかな、記憶は風化していきます。私は経験者ですから、一生忘れることはないでしょう。でも経験していない人はどうでしょうか?

関心が薄れる中、またあんなことが起きてしまったら、と思うと何かできないかなと考えてしまいます。

だから、私が考える「防災・減災」としては、震災の経験をシェアして、疑似体験から色々学んで準備をすること。もしくは、当事者ならこの経験を忘れずに、非経験者に伝えていくことだと思います。

 

 

以下の日記は、当時私が仙台在住の学生だった時に遭った東日本大震災について、地震発生前後から、仙台を脱出するまでの3日間の手記です。

手記なので、原文そのまま載せます(日本語の間違いはご容赦ください)。

 

 

ちなみに、下記の経験から学んだことは、要約すると以下の三点です。

  1. 非常用持ち出し袋は用意したほうがいい(空腹が辛かった。私はこの出来事以降、常に3日分の食料と水を用意しています。)
  2. 情報の取捨選択は慎重に(デマが本当に多かったです。2日目の10mの津波、化学工場から有毒ガス、原発爆発…、本当だったのは原発だけでした。)
  3. 人とのつながり・助け合いを積極的に(一人は心細いです。すごいストレスです。他の人と話をするだけでも心が落ち着きます、助け合いは会話を生みます。)




 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

地球が暴れている。 


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震災1日目 

いつものように部活をし、筋トレをして、接骨院に行って、自宅に帰ってきた。 
今日はこれから研究室に行こうか、街に出てショッピングでもしようか。 
なんてことを考えながら、シャワーを浴びていた。 

3月11日 午後2時46分 

ガタガタ揺れ始めたのは、ちょうど身体を洗い終わって、頭からシャワーを浴びているときだった。 

お、地震か・・・ 
最初はこの程度の揺れだったのだが、横揺れに変わった瞬間 
大きく前後左右に身体が揺さぶられた。恐怖を感じる。 
パニックになって、浴室から飛び出した。 
キッチンでは、机のお茶はこぼれ、炊飯器は落ち、冷蔵庫は踊っていた。 
部屋に入ると、棚は崩れ、書棚から何冊も本が落ちている。 
とにかく揺れが長い!やっとのことで、テレビをつけた。 
緊急地震速報の警告音が響き、5秒ほど経つとテレビが消えた。 
停電か。 
ライフラインは止まった。(水道はわからない) 
最近PCが調子悪く、ネットができないため、情報が無い。 
とにかく、東北太平洋沖で巨大な地震が起きたんだ。 
きっと津波も起きるだろう。 
ただ、これだけ家がめちゃくちゃに散らかったのに、こんなもんか 
意外と、大丈夫なのでは?とも思った。 
仙台は、地震の多い地域で、耐震はしっかりしていると知っていたからかもしれない。 
外を見ると、家の瓦は飛んでいるけど、全壊家屋は近くに見受けられない。 

あ、また地震、でかい! 
余震が発生して、また恐怖に見舞われる。 
とにかく、情報が無い。寂しさもあってか、とにかく大学に行こう。 
電話、メールが使えないので、ツイッターで自分の無事をつぶやいて 
濡れた全身を拭きながら、さっさと準備して散らかりきった家を出た。 
外に出ると、人々が外に出ている。みな不安そうな顔だ。 
僕は車を出した。 
道の所々に石が散乱し、木の枝が落ちていた。 
信号も機能していない。みな譲り合って交差点を通過する。 
途中の牛越橋の上でまた強い余震に襲われる。 
橋の上なので車が上下左右に揺さぶられ、恐怖に慄く。 

午後3時30分頃 

やっとのことで大学につき、友達を発見しては、互いの無事を喜んだ。 
このころになると、車のラジオやツイッターのおかげで 
この地震の規模などが分かってきた。 
震源 三陸沖 M8.4 栗原市震度7 大津波警報 10M以上 
津波がすでに到達。 名取川を津波が逆流。 気仙沼市大部分水没 
・・・これは大変なことに巻き込まれたと改めて痛感した。 

大学生協は無償で水やパンを配り始めたので、僕は水3リットルとパン5個 
おにぎり3個をもらった。これで2日は大丈夫だ。 
ケータイのメールはたまに受信できるくらいで、まだ通じなさそうだ。 
無事確認メールを様々な人から頂いたが、なかなか返せなかった。 
そうこうしているうちに、雪が降り始めた、寒い。 
あっという間に辺りは真っ白になった。 
大学本部は忙しなく動く。 
理学部化学棟から煙が発生し、辺りに嫌な薬品の臭いがする。 
上空にはヘリが飛び回り、消防車だろうか、サイレンの音が鳴り響いている。 
友達が言っていたが、我らの学び舎、物理A棟は壁が所々崩れ、亀裂が入り、部屋がめちゃくちゃらしい。 

午後5時頃 

大学本部から帰宅指示が出た。僕は大丈夫だったが、八木山住の友達は大変そうだ。 
八木山橋が隆起して通行不可らしい。 
僕は途中会った研究室の人たちと別れ、家に帰ることにした。 
車に乗り込んで理学部を出るのだが、もう大渋滞だ。 
車に乗っているうちに、辺りが暗くなった。 
このころになると、ラジオのおかげで被害の状況も少し把握できてきた。 

東北太平洋沖地震 M8.8(国内最大規模)1900年以降世界5番目の規模 
南相馬市津波7.3m 仙台新港津波10m以上 死者、行方不明者多数 
仙台空港 水没 
女川町 壊滅的 
津波が仙台市内陸10キロまで押し寄せる。 
ぞっとした。 
まるで映画だ。 

渋滞はひどい。道には所々ひびがあり、歩道は隆起している。 

仙台はどんどん闇に包まれていく。 
星だけは、とても綺麗だった。 

午後8時頃 

やっとのことで帰宅。 
たった4キロの道のりなのに3時間もかかった。 
車で来たことを後悔した。 
この頃には頼みの綱のケータイも電池が1つになっていた。 
車の中でだいたいのメールに返信したが届いているかわからない。 
これ以降ケータイは使えない。とりあえず寝よう。 
電池式ラジオをつけ、懐中電灯で天井を照らしながら、目をつぶった。 

震災2日目 

夜、余震で何度も起きた。1~2時間おきくらいだろうか。 
長野の方でも地震があったそうだ。ラジオから聞こえてきた。 

午前6時頃 

ラジオによって起こされた。緊急地震速報の音が鳴り響く。 
朝だけで3、4回聞いただろうか、もう聞き慣れた。 
ラジオは、だんだん明らかになってきた被害の様子を語る。 
関東にも影響を起こしているようだ。 
すさまじい。 
仙台市若林区で津波に巻き込まれた遺体が200~300体ほど転がっている。 
ショッキングだ。 
また、各県の港町の様子を、ほとんどが「壊滅的」と表現されている。 
心が痛む。 
また、役場が水没して機能していないところが多いらしく 
まだ被害の全容が分からないらしい。 
不安な時間はつづく。 

記 3・12 午前7時50分 

午前8時頃 

とにかく情報収集のため、外に出た。天気は晴れ。 
大崎八幡宮の石碑はほぼ全壊だった。 
とりあえず食料調達のためスーパーに並ぶ。どうやら販売してくれるそうだ。 
8時半に並び始めて12時にやっと買えた。3時間半並んで2日分の食料(ビスケットなど) 
を確保した。ちなみに僕が並んだときは50mの列だったが、12時頃になると 
その列は400mに達していた。いったい何時間かかるんだか。 

午後1時頃 

東北大学の予知観測研究センターにいって情報収集をする。 
発電機により多少の電力があり、ケータイの充電を少しした 
テレビも見れた。そこで初めて津波の映像。沿岸の状態が分かった。 
とてもショッキングな映像で、言葉を失った。 
・・・あ、地震の解説に、松澤先生が出てる! 
その場の空気が少し和らぐ。 
ケータイの充電を終えて出発しようとする頃には、松澤先生は帰ってきた。 

ケータイのメールの返信をして、予知観を出て、ガソリン節約のために 
自転車に乗り換えて町に出た。 
東に行くほど、被害の状況が悪化する。道路陥没、地割れ、仙台城址の城壁崩落・・・ 
日没が近くなったので、戻って東北大の避難所に行った。 
ここでラクロス部の同学年と待ち合わせ、無事を喜び、あす(3.13)からの遠征についてMTGを行った。 
もちろん中止だが(笑) 
配給のカレーを食べ、あす朝10時からの炊き出しの情報を得て避難所を出る。 
再び予知観へ情報収集に行く。 
原発が、ヤバいことになってるな。 
そして、公式には死者600名、行方不明500名以上 
非公式には仙台市・名取市・岩沼市で合計500名以上の遺体あり 
陸前高田市で300~400体の遺体あり 
南三陸町の町民の7割(1万人)行方不明 

もう、こうなってくると言葉も出ない。 

避難所には電気が来たが、うちは今日も真っ暗だ。 
この生活、いつまで続くのだろうか。 

記 3・12 23時20分  


震災3日目 

8時30分頃 

財布の中身がいよいよ寂しい状況になってきたので、銀行に行った。 
銀行は、この震災でも臨時で営業してもらえた。 
仙台を脱出するのに十分なお金を得て、朝の炊き出しを貰いに中の瀬橋の下に行った。 
炊き出しでは、豚汁とご飯だった。今の自分にとっては御馳走だった。 
午後になって、原付で東の方へ走った。 
港の方へ行ってみようと思った。 
津波がどこまで来たのか、少し興味があったからだ。 
仙台港の内陸7キロ付近で、少し津波の跡があった。 
といっても、少しゴミや泥がある程度。 
もう少し行ってみよう。これが間違いだった。 
仙台港付近の内陸3キロ付近に来た時、あまりの光景に息をのんだ。 
写真を撮ろうと思ってカメラを所持していたが、カメラを手に取ったところで 
シャッターを押せなかった。 
身の毛も弥立つ光景、まさに地獄絵図。 
車は鉄柵に刺さり宙に浮いた状態で制止し 
太い幹線道路は泥にまみれていた。 
そんな中、半分つぶされかけた家の家主だろうか 
家の壁を神妙な面持ちで掃除をしている人がいた。 
その時僕は激しい自分に対する嫌悪感に襲われた。 
家主は興味本意でやってきた僕をみて、どんな気持になっただろうか。 
考えただけで申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 
写真には残さなかったが、心の中には一生消えることのない光景だろう。 
津波の恐ろしさと被害にあった住民の悲痛な表情は。 

午後7時頃 

東北大の避難所に到着した。ラクロス部で今後の部の運営に関するミーティングを行った。 
とりあえず、3・26に幹部ミーティングをすると決め、それまでオフになったので 
実家に帰ろうと思った。 
電気は今日の6時頃復活したが、食料の問題があったからだ。 
本当に、食料が無いのだ。だから、もう少し状況がマシであろう実家に帰る。 


そして、今 
交通機関がマヒしていて、脱出ルートを探すのに苦労しました。関東のやつらに情報を送ってもらってなんとか、山形~鶴岡~新潟回りで帰還できそうです。 

この東北・関東大震災、最終的には世界4例目のマグニチュード9.0 
津波などで死者1300名以上 安否不明1万人以上。 
未曾有の災害となりました。 


この3日間、当たり前のことができなかった。 
文明に依存しきった生活だったんだなと本当に思います。 
本当に恐ろしくもあり、貴重な体験をした3日間でした。 


これより、仙台・脱出します。 



3・14 午前1時 記 

受験戦争からの帰還

こんにちは、Dr. Saitoです。

 

懐かしの日記転載シリーズ。

 

浪人からの大学受験から今日で丸10年です。当時1日12~14時間の勉強を毎日欠かさず行って、溜まった鬱憤と受験からの開放感を文章にぶつけていたことを今でも思い出します。今日はそれから10周年を記念して、2008年当時(本人19歳の頃)の文章をこちらに載せます。

この時は、10年後アメリカで研究者をやっていたとは夢にも思っていなかったでしょう。人生って、わからないですね。

 

それでは、どうぞ。


☆  ☆  ☆  ☆  ☆   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

 

 

浪人生

さんずい取れば

良い人生。





ちょっと上手いこと言ってみたw





はい、こんばんは!

まだ、さんずいが取れていないマニ(注;当時のペンネーム)です。



戦績を報告します。



っと思ったけど、自分の結果を公に晒すのもどうかと思うので、とりあえず伏字で書くことにしますw



俺らしい、奇妙な結果になりましたwww


では、いつものいきますww



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タッタララーラーラーーー(戦争の音楽)





睦月十九日、第二次受験戦争は開戦した。


マニ少佐率いる浪人軍はセンター試験大空爆を仕掛けた。

相手軍の領土の約83%爆撃成功。後の対戦に弾みをつけると共に、

N大帝国(理工・物理)、R大軍(理・物理)、野田ヲタ大(理工・工業化学)

を撃破。





如月八日、R大軍侵略(理・物理)

順調に数学、物理艦隊を砲撃。

英語艦隊に少々やられるも大丈夫だろう、

とタカをくくっていたらまさかの敗北。(発表後2日間、鬱になる。)





如月十二日、TR大ヲタ決戦(理・物理)

のっけから数学空母に爆撃され、放心状態。

しかし、必殺、物理特攻隊がやってくれました!!逆転勝利。







如月十四日、K塾軍大殺戮(理工・学門3)

これはいける!怒涛の銃撃ラッシュで英語、理科、数学隊を攻めるが、

終了間近に数学の解答欄書き間違いに気づく。時、既に遅し。

これがたたってか、停戦協定。(補欠)





如月十六日、W帝國上陸作戦(先進・応用物理)

数学、理科戦闘隊を撃破。うーん、いい感じ!

っと、隙を見せた瞬間に背後から英語艦隊に砲撃され、

爆死。(手ごたえは2割w)

これはダメだと思っていたが、まさかの勝利。





如月二十五、二十六日

国立遠征東北大(理・物理系)

ハッキリいってまだ分かりませんが、手ごたえ的には、

英語…まあまあ。理科…大失敗。数学…マニ旋風巻き起こす。

です。

合否は五分五分でしょう。




…この戦争ももうすぐ終戦ですなぁ

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立教落ちたのは自分への戒めになりました。やはり何事にも全力でやらないとだめなんですよ。





この一年間、学力以外に得たものは大きい。きっとこれは浪人を経験した人でないと分からないのであろう。

なんというか、自分の欠如した点が明らかになったり、モノを一歩後ろから見られるようになったり…

もちろん第一志望には受かりたいですが、この生活を経験できただけでも、一年犠牲にしても十分お釣りがくると思います。(でも、受かりたいよ?猛烈に受かりたい!!死んでも受か…w)

「浪人してよかった」って思えるのはきっとコレなんでしょうね!



さて、東北がダメだった場合、後期はK州大学ですが、試験は面接のみです。

つまり、勉強とはおさらば(嬉)


今、ふと考えるとホントに勉強したよなー。

なんか、明日から勉強する必要がないってなると「え、いいの?ほんとにいいの?」って感じになりますw

なんか明日から暇になりそうwww長い事この生活やってると、名残惜しく思えてくるものです。(かといって、この生活をもう1年やるか?と問われたら、声を張り上げてNO!!!と言いますwww)


こう考えてると、やっぱり合格ありきの浪人生活ですね。


あと、仙台という街は、のんびりした空気が漂っていて居心地が良いです。

…住みたいなぁ。



まぁ、今ごちゃごちゃ言っても合格率は上がりませんわな。


人事は尽くした!!!天命を待とう。




というわけで、今日は夜更かしして、ずっと楽しみにしていた「耳をすませば」観て、明日の昼までぐっすり寝ようかな(嬉)






浪人生の皆さん、お疲れっしたーーー!!!






悲しい訂正:東北大の答えが発表されたので自己採点したところ

英語…まあまあ、理科…まあまあ、数学…爆死

でした。数学は5問完答したと思ったら、実際は2問でした(涙)

ボーダーすれすれ。やばいっすorz

 

2008年2月26日 記

 

☆  ☆  ☆  ☆  ☆   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

 

うん、懐かしい。合格発表の時は、親戚も集まり非常に重圧を感じていたが、番号を見つけた時は飛び上がって親戚や両親に報告したことを覚えている。

 

まさしく、良人生だな!

研究資金獲得のための研究計画書

こんにちは、Dr. Saitoです。

 

初めて任されたプロポーザルだが、1回目のCo-PIからのフィードバックは否定的なものだった。「計画は素晴らしいが、とても2年ではできない。」

 

やりたいことを詰め込んでエフォートを75%/年で換算して書いたので、そう取られても仕方がないのだろう。たとえ理論がしっかりしていても、期限内の実現可能性が小さい研究計画なんて、ただの紙切れだからね。

 

ただ、ただの紙切れでも大きな夢が詰まっている。

 

これから、また研究計画書を大幅に改訂するわけだが、今回の失敗から学んだことは、

 

「本当にやりたいことは、内に秘めながら少しづつ自分でやる。」

 

挑戦的なテーマほど、いろんな意味でのコストがかかるだろう。だから実現可能性を疑問視されやすいし、応募できる研究資金の種類も限られてくるだろう(期間や金額などの制約で)。

 

これから少しづつ、時間を作っては本当にやりたいことに取り組んでいきたい。

2018年の抱負

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

一年の計は元旦にあり。今年も一年の目標を立てたいと思います。

これまでの年間のテーマの変遷は以下のとおり。

2009年「貪欲」

2010年「自分への投資」

2011年「夢を叶える」

2012年「準備」

2013年「自分との闘い」

2014年「原点回帰」

2015年「殻を破れ」

2016年「挑戦」

2017年「”自分らしさ”をみつける」

大まかな流れとして、一昨年までは、身を削りつつ限られた時間の中でインプットとアウトプットを繰り返してきました。去年は、一度立ち止まって自分の人生の在り方を再考した年になりました。

再構築によって最適された人生の目標を達成するために、様々な面でレベルアップを図りたい。そんな思いから、今年のテーマを「進化」としたいと思います。

 

それでは3つの分野別に目標を立てます。2つ目の分野名を「家庭」→「生活」に変更しました。

 

 

◎仕事

  1. 主著論文4本投稿(最低ライン)
  2. 21:00からの自由研究
  3. 8:30までに出勤18:00までに退勤を200日達成

すでに論文内容が固まっている3本に加え、去年12月から走り始めた2年間プロジェクトのテーマでも一つ論文を書いて投稿したいと思っています。新しい分野なだけに、学ばなければいけないことも多いので、そこは仕事効率を最大にして頑張っていきたいと思います。もちろん、そのほかにも専念義務により日中できないテーマの研究も、夜に行っていきたいと思います。少ない時間で集中して仕事に取り組むことで、オフィスアワーを短くしていきます。

これらの達成により、研究者としてのさらなる自信をつけ、また、PIからの信頼もより一層厚いものにして、研究者として進化する一年にしたいです。

 

 

 

◎生活

  1. 一年を通じて健康維持
  2. 英会話研鑽
  3. 家庭環境の充実

去年の年末に学びましたが、健康の維持がこの国では最も重要だということです。仕事の効率も落とさず、余暇の時間も減らさないためにも(体のメインテナンスは別として)医者にかかららない一年にしたいと思います。また、生活の充実には英会話も欠かせないので、英会話能力の向上も図っていきたいと思います。近所に英会話教室が複数あるようなので、まずはそれにトライしてみようと思っています。家庭環境の充実も図り、これまでの自分を進化させていきたいです。

 

 

◎趣味

  1. テキサス州外の国内旅行2回
  2. 新しい文化的趣味の開拓
  3. 日本一時帰国で温泉旅行

ようやくテキサスの生活基盤が整い、心に余裕が出てきたので、趣味にも力を入れる一年にしたいと思います。まず、アメリカを満喫するために、テキサス州外の旅行を最低2回は行いたいと思います。また、通常の週末に、一人で完結する趣味を作りたいと思います。文化系趣味を模索中。最後に、今年の年末の一時帰国(予定)の際には是非とも温泉旅行に行きたいと思います。

 

それぞれの分野でレベルアップを図り、さらに充実した楽しい生活を送ることで、人生の幸福度をさらに高めることを目標とします。今年は30歳になる年なので、できる限りの事はやって、自分を進化させていきます。

 

  

 本年も、宜しくお願い致します。

2017年の総括

今年も大晦日になりました。今年一年の総括を行います。

年々感じていることですが、時間の流れが早くなっている気がします。特に今年一年は鬼のように時間の経過が早かったです。1月に博士論文を提出し、3月に晴れて博士号を取り、4月から東北大ポスドク、9月からテキサスでポスドク、とイベント盛りだくさんでした。

 

さて、今年のテーマは「"自分らしさ"をみつける」でした。

 

masa-saito.hatenablog.com

 

項目別に振り返っていきます。

 

◎仕事

 

(1)新しい研究テーマに挑戦 (2)指導教員を共著に含まない論文を年内にsubmit (3)08:30までに出勤、19:30までに退勤を200日以上達成

2017年の抱負 - テキサス研究留学日記

 (1)については、東北大ポスドク時代、テキサスA&Mポスドク時代、共に新しい研究テーマに挑戦しています。それぞれ、形になりつつあるものや、やりっぱなしのものもあり(時間が許せば完結させたい)、といった感じです。

(2)については、論文投稿まではたどり着けませんでしたが、テキサスでの最初のプロジェクトの成果がまとまり、論文の草稿が完成する状態まではきました。来年早々某学術雑誌に投稿できそうです。

(3)については、東北大ポスドク時代はおよそ半分(大体が退勤時間超過)、テキサスポスドク時代はほぼ毎日達成できていたので、おそらく達成しているだろうと思います。詳しくは、研究ノートに自分の出退勤記録があるので、それを以って調べて追記します。

 

そのほか、主著論文が米国学術雑誌に1本、共著論文が日本学術雑誌に2本出版され、1本が投稿中の状態です。

というわけで、仕事については目標をある程度達成できたと思います。ですが、論文投稿まで行かなかったのは、少々仕事が遅かったと反省。

 

 

◎家庭

 

(1)夫ノートの作成 (2)奥さんに喜んでもらえる活動を週一回 (3)貯金+100万円

2017年の抱負 - テキサス研究留学日記

 (1)ノートの作成までには至らず。夫として必要な知識を調べるにも、文献を参照する止まりで、ノートにまとめることができませんでした。ノートにうまくまとめるのはかなり時間を要する作業なので、この目標については少々改訂したいと思います。

(2)については、週末の料理、料理補助、そのほか細かい家事を(以前よりは)率先してできたかなと思います。まあ、何をいってもこれが満足だったかどうかはうちの奥さんしか評価できませんが。で、奥さんの評価は、東北大時代は評価せず。テキサス時代は、週末の活動に加えて、仕事の効率化で平日一緒に過ごす時間が増えて満足度が高く95点をつけてもらえました。残りの5点は今後の伸びしろだそうな。

(3)について。。。。できるかっ!!!!!!博士とりたてのいちポスドクが貯金100万円なんて貯まりません。というか、億が一、100万円貯まったとしても言わないわ!!!!まぁ、実際渡米などの費用もかなりかかる見込みだったのでこの目標は今年前半で諦めていました。

 

というわけで、これらの目標達成度は(2)以外はかなり微妙。

 

 

◎趣味

 

(1)英語学習TOEFL90点orTOEIC800点 (2)夫婦海外旅行 (3)新しい趣味を開拓

2017年の抱負 - テキサス研究留学日記

 (1)については、今年3月にTOEFLテストを受け、84点。あと6点。。。

(2)2月に夫婦で1ヶ月フィリピンに語学留学を敢行。観光旅行ではなかったが、週末はフィリピンの豊かな自然を一緒に満喫できたと思う。

(3)については、夫婦共通の趣味があるといいなと思い、テレビゲームを夫婦でやるようになりました。テレビゲームなんて時間をドブに捨てているようなもんだと思って、最初は抵抗があったが、これ意外と脳の気分転換になるw

 

ということで、趣味の目標は(1)以外達成!

 

 

 

◆総評

 

「”自分らしさ”をみつける」というテーマで今年一年やってきましたが、仕事の効率化により、家庭や趣味に費やす時間が増え、人生幸福度や満足度がかなり向上しました。「人生を楽しむ」という、簡単に思えて難しい(特に、このご時世)ことができたことによって、自分らしさを見つけられたと思います。今は、毎日が楽しいです。

バランスが大事ですね。このバランスをキープしつつ、研究者キャリア2年目の来年も、より一層研究に邁進していきたいと思います。

 

 

 それではみなさん、よいお年を〜!

動き出した時計の針

こんにちは。Dr. Saitoです。

 

先日、同じ地域に住む日本人が集まるクリスマスパーティーに参加してきました。参加者は20名ほど。これは驚きの多さです(街の日本人の半分くらいは参加しているのではと思うほど)。

 

そこで、同じ大学に勤める学生や研究者の方とお会いしてお話をする機会が得られました。研究者と言っても、僕と同じポスドクの方から、教授まで幅が広いです。

 

家の外で日本語を話す機会などほとんどないこの街で、たわいもない会話から生活の相談などを日本語でたくさん話せたので、かなり気分転換になりました。

 

さて、その会話の中でいくつか研究者として大切な心得を教えていただいたので、その覚書を記したいと思います。この心得は、研究者に共通するものもあれば、米国で研究者として生き残っていく上で重要なものもあります。貴重な話を現地の教授の方から教えていただく機会もそうないので、興味がある方に共有したいと思います。

 

 

アメリカでポジションを獲得するには

 

以下の2点が非常に重視されるようです。

  1. 業績
  2. 資金獲得能力

 (1)の業績は、学術論文や、国際会議での発表などです。

学術論文は近年h-indexが業績を客観的に示す良い指標となっているようです。また、学術論文の雑誌インパクトファクター論文がどれだけ引用されているかということも、業績を評価する一要素となっているようです。

国際会議での発表は、通常講演の他に、招待講演があるとポイントが高いようです。

 

(2)については、あくまでも資金獲得「能力」を示すことが大事です。日本では、自分がPIとなって競争的資金を獲得することでその「能力」を示すことができますが、米国の場合(日本の場合もそうだろうが)、評価者と申請者の関係性が完全な独立ではないので、名の知れないポスドクがPIとなって競争的資金に応募したところで勝ち目がない(ことが多い)のだという。

そこで、アメリカで競争的資金に応募する場合は、現在のPIを競争的資金のPIとして応募し(もちろん、研究計画は自分で考えます)、PIの許可が出れば自分をCo-PIとするか、現在のPIに「この競争的資金は概ねポスドクの○○が作成しました」というレターを書いてもらうことで、獲得した競争的資金のPIが自分ではなくても、その「能力」を示すことができます。

僕はこれを聞いて目からウロコが落ちました。こんなやり方があるだなんて。

 

また、現在のPIがポスドク自身をPIとして競争的資金に応募させることは、2つの理由であまり好ましく思いません。

理由1:ポスドクが別のポジションを獲得したときに、その資金が(ポスドクに従属しているため)使用できなくなるから。

理由2:ポスドクがPIとして申請書を出しても通らないので時間の無駄だから。

 

世の中甘くないですね。もちろん、ポスドクには研究専念義務がありますので、新しく競争的資金に応募するなら現状のエフォート率を鑑みて、PIと相談する必要があります。

 

ポジションに応募するときは、基本的には履歴書(CV)と推薦書を応募先に送り、声がかかればインタビュー(電話や面接)を受けます。そこでオファーをもらうこともありますし、プレゼンテーションを要求される場合もあるようです。

 

キャリア序盤の研究者として大事なこと

博士号を取得したら、多くの人はポスドクからキャリアをスタートさせることでしょう。博士で学んだことを生かして研究を進めよう!なんて思っているときっと後で困ることも多いでしょう。少なくとも、すでに大学のポジションについている方たちは「ポスドクがキャリアの中で最も研究に集中できた」とおっしゃっています。

しかし、単に目の前の課題に取り組んでいるだけでは研究の幅が広がりません。ポスドクというキャリアの中では業績を上げることに加えて以下の2つが重要であるようです。

  1. 今後20年で取り組めそうなインパクトのある研究テーマの発掘(裏で遂行)
  2. 博士時代とは別の知識の柱を立てる

少なくとも3つ程度のプロジェクトを並列しながら研究に取り組むのが標準なようです(少なくとも私の周りでは)。それらの遂行だけでもかなり時間が割かれます。しかし、それが全て与えられたプロジェクトであれば、それ以外に何か大きいこと(インパクトのあること)をテーマにして、裏で研究を進める熱意が大事だとようことです。そのテーマが今後の自身のキャリアに大きな影響を及ぼすかも知れません。

また、ポスドクは研究だけでなく、新しい分野の知識を集中的に得る良い機会でもあります。異なる2つの分野の深い知識から分野横断的な研究へと展開していきます。

 

 

さて、クリスマスパーティーの中で自己紹介をしたときに、印象的な言葉をある教授からいただきました。

自分が今年の4月に博士をとって渡米したことを伝えると、

 

教授「ああ、時計の針が動き出しましたね。」

 

ポスドクが次のポジションを得るには時間との勝負だという。同じ論文10本を書いても、それに10年費やした人と1年費やした人では、後者が採用される厳しい世界。時計の針が動き出したからには、もう立ち止まることができない立場になった。

業績重視ではなく時間をかけてインパクトのある研究をすべきという本質的な議論は置いておいて

 

でも、研究者ってそういうものなのかも知れない。

知的好奇心という無限のエネルギーを糧に、今日も時計の針を追いかけるべく、研究に励むのだ。

夢中になって雲を追いかけた少年時代のあの頃のように。

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