テキサス研究留学日記

テキサスに放牧された大学院生が博士号を取るまでの奮闘記と、その後の話。

2019年の抱負

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

一年の計は元旦にあり。今年も一年の目標を立てたいと思います。

これまでの年間のテーマの変遷は以下のとおり。

2009年「貪欲」

2010年「自分への投資」

2011年「夢を叶える」

2012年「準備」

2013年「自分との闘い」

2014年「原点回帰」

2015年「殻を破れ」

2016年「挑戦」

2017年「”自分らしさ”をみつける」

2018年「進化」

 

去年は、仕事と家庭の両立を図り、かつ仕事では多くのプロジェクトを掛け持って、それぞれで結果を出してきました。しかしながらどのプロジェクトも、それを形に残す「成果」まではたどり着きませんでした。また、仕事と家庭の偏重により、自分自身と向き合う時間も足りなかったように思います。事実、昨年の目標の一部は一切達成できませんでした。

研究者ならば、意味のある結果を出すだけでなく、それを世の中にシェアしてはじめて科学の進展に貢献できたといえます。そこで今年は、去年の3項目のアンバランスを改善し、且つ仕事については形に残る「成果」になるまで、それぞれやりきることを目標にします。

 

今年の活動を通じて、研究者としてもっと科学の進展に貢献できるようになりたい。仕事・生活・趣味をバランスよくこなしたい。何か没頭できる趣味を見つけたい。そんな思いから、2019年のテーマは「飛躍」とします。

 

それでは、3分野別に目標を立てます。尚、今年から、元旦の年間目標に加えて1年を4クォーターに分けてそれぞれの分野で中期目標を立てて、年間目標の達成率の向上を試みます。これについては別の投稿で。

 

 

◎仕事

1. 査読付き論文4本出版+年内に査読付き論文3本投稿

2. 仕事の生産性の向上(8:30-19:00の 'my' working hourを年間200日達成)

3. 遂行するすべてのプロジェクトで遅延無し

 

これまでのプロジェクトに関して投稿中の論文(それぞれMinor Revision)が2本、投稿準備中の論文が2本あるので、それを今年中に必ず形にします。加えて、現在進行中のプロジェクトと今年1月からはじまるプロジェクト計3つそれぞれで、論文発表に資する研究を行い、今年中に投稿を済ませることを目標にします。これらのプロジェクトの研究計画はすでに去年のうちに十分練っておきました。また、決して目標達成が危ういからといって通りやすい雑誌に投稿したり、論文のクオリティを下げるなどといった低レベルなことは一切せず、自分の水準を文句なしで満たした場合のみ論文を投稿します。

かなりの仕事量になるので、仕事拘束時間が長くなってしまいがちですが、今年はむしろ仕事の効率を上げる努力もしていきます。徹底的に自分のタスク状況を管理してオフィスアワー内の無駄を排除していきます。3についても2と関連しています。今年はアウトプット中心の年です。

 

 

 

◎生活

1. 毎朝7:00までに起床を年間300日達成

2. 毎晩のストレッチを年間350日達成 [03/24改:週2日の運動 (筋トレ+スポーツ)]

3. 貯金 +$???

 

今年も健康維持のために、より具体的に、規則正しい生活(1つ目の目標)と適度な運動・ケガの防止(2つ目の目標)を行います。1つ目については海外出張の間や後を除く期間。2つ目については、筋トレなどで怪我をしていない期間を考えています。また貯金額の目標は安全の理由で明記できませんが、年末の反省時にその達成率(%)を100%にしたいと思います。

 

◎趣味

1. 絶対に新しい文化的趣味を開拓

2. テキサス州内4都市(Houston, Dallas, Austin, San Antonio)以外に小旅行

3. 隔週で夫婦外出

 

去年できなかった新しい趣味の開拓です。いくつかぼんやりと興味のあるものがあるので、四半期ごとにそれぞれに挑戦していきます(詳しくは四半期目標を参照)。また、もっとテキサスを知りたい!ということで、すでに訪れたことのある4都市以外に旅行にいきたいと思います!

また、隔週で夫婦で外出についてですが、私自身と妻の英会話向上のために外出時の会話を”なるべく”英語にするという目標があるので、それを促すために、また日々の生活により潤いを持たせるために隔週で街やその周辺に出かけます。こうでもしないと、週末クタクタでどこにも行かなさそうなので。

 

個人的にはかなり高い目標を立てたつもりですが、やってやります。トライ&アウトプットを重ねて、自分を飛躍させる年にします。さて、年末にはどんな自分になっているのかな?

 

本年も、宜しくお願い致します。

 

2018年の総括

今年も年の瀬が近づいてきました。今年一年の総括を行います。

今年一年は研究室のメンバーの転換期も相まって、鬼のように忙しい一年を過ごしました。現在は研究室の主力として日々研究に励んでおります。

 

さて、今年のテーマは「進化」でした。

 

 

masa-saito.hatenablog.com

 


 

項目別に振り返っていきます。

 

 

◎仕事

 

主著論文4本投稿(最低ライン) 21:00からの自由研究 8:30までに出勤18:00までに退勤を200日達成

2018年の抱負 - テキサス研究留学日記

 

1. 主著論文4本投稿について

当時想定してた2本分(東北大時代の仕事)の投稿を延期したため、目標の達成は難しくなりました。

しかし蓋を開けてみたら、2つのプロジェクトから2本の主著論文を投稿中であり、他の2つのプロジェクトでは2本の主著論文が投稿準備中です。さらに最近始めたプロジェクトから論文になりそうなネタがあと1本分あります。

今年は計6つのプロジェクトに携わり、5つのプロジェクトで結果を出すことができました。あとはこれらをしっかり論文として世に出せばOKです。

目標としては不達成でしたが、しっかりやりきった充実感があります。

 

 

2. 21:00からの自由研究について

今年の上四半期は自分の好きな研究に従事することができたが、それ以降は日中の仕事で忙殺され、自由研究の時間が取れませんでした。家に帰ってくる段階で疲れ果てていて、自由研究のモチベーションも上がりませんでした。

 

取り組んでいるテーマは面白いと思っているんだけどね。

 

 

3. 8:30までに出勤18:00までに退勤を200日達成について

特に退勤18:00を達成するのが非常に難しかったです。それぞれ30分ずつ後倒しすればある程度達成している気がするのだけれども、現在の仕事量を限られた時間で捌くのは簡単ではないのです。

 

以上より、今年の仕事の目標は不達成でした。しかしながら、1年間やってきたことを振り返ると、前述の通り

1.4つの国際会議で発表(2件口頭発表、2件ポスター発表)

2.3月の国際会議で優秀発表賞を受賞

3.2本の論文を投稿中、2本を投稿準備中

4.6つのプロジェクトに従事

 

今までの研究人生の中で最も忙しい一年となりました。来年も上半期の予定は会議やプロジェクトがびっしり入っており、さらに忙しいことが確定していますので、気を引き締めて、より効率的に研究に励んでいきたいと思います。

 

 

◎家庭

 

一年を通じて健康維持 英会話研鑽 家庭環境の充実

2018年の抱負 - テキサス研究留学日記

 

 1.一年を通じて健康維持について

数回風邪をひきましたが、有給を使って仕事を休んだのは1日のみで、病院にかかることもなかったことから、比較的健康に過ごせたと思います。

 

2.英会話研鑽について

上半期は毎週末英会話教室に通いました。下半期は月1回程度に減りましたが、その分、英会話教室で知り合ったA&Mの留学生と仲良くなり、一緒に英語を勉強するようになりました。個人的にはもう少し英会話を向上させたいと思っていますが、及第点でしょう。

 

3.家庭環境の充実について

導入したもの:

ソファ、ソファーテーブル、テレビ台、勉強机、本棚、ランプ(3つ)、炊飯器、ミキサー、フライヤー 、車(2台目)、ベッド(2台目)、ノイズキャンセリングヘッドフォン

 

これらのうちおよそ半分は貰い物。コストをかけずに生活物品を増やしていきました。

現在、あまり物欲がありません。おそらく家庭環境が充実したからでしょう。

 

以上より、家庭の目標はほぼ達成で良いでしょう。

 

 

◎趣味

 

テキサス州外の国内旅行2回 新しい文化的趣味の開拓 日本一時帰国で温泉旅行

2018年の抱負 - テキサス研究留学日記

 

 1.テキサス州外の国内旅行2回について

前期後期ともに多忙で州外の国内旅行は計画できませんでした。しかしながら、州内の1日〜数日の小旅行は計3回でき、また海外旅行もできたので、ある程度満足できる結果となりました。

 

2.新しい文化的趣味の開拓について

全くできませんでした。これは、より具体化して来年の目標に組み入れたいと思います。

 

3.日本一時帰国で温泉旅行について

夏の一時帰国の際、夫婦二人で会津若松に温泉旅行に行きました。やや奮発していいお宿に泊まれたので、良いリフレッシュとなり、下半期の多忙期間をなんとか乗り越えられた気がします。というわけで、これは満点です。

 

よって、達成度に関しては、2/3でした。

 

 

◆総評

 

「進化」というテーマで今年一年やってきましたが、昨年以上に仕事をこなし、家庭の時間も作れたことから、ある程度自分を進化させることができたかなと思います。ただ、仕事と家庭に重きを置きすぎて、自分自身の余暇の時間を作ることができなかったため、自分の趣味を見つけることができなかったのだと思います。家族を持つ以上、この2つは最重要項目なのですが、それだけやっていては人間味を失いかねないので、趣味に関しては来年以降、見つける努力をしていきたいです。

さて、来年は研究者キャリア3年目に突入です。来年のより一層の飛躍のために、今年残りあと1週間、しっかり休んで頭をクールにしてきます。

 

 

 それではみなさん、よいお年を〜!

理想と現実の狭間から

こんにちは、Dr. Saitoです。

 

現在、科学業界では若手研究者の待遇が非常に厳しいものになっている。

短い任期に加え、雑務や競争的資金獲得に割く時間の増加で腰を据えて研究できる環境が非常に少ない。

この状況をなんとか改善しようとノーベル賞受賞者をはじめとした著名な研究者の方々が声を上げているが、状況が好転する気配がない。

 

newswitch.jp

 

この記事に若手へのメッセージが書いてある。

 

「自分が何をやりたいのか一生懸命考え、恐れずやってみることだ。日本人にとって他人と違うことに挑戦することは怖い。ただ欧米は他と同じことやっていると埋もれてしまうという強迫観念があり、個性を示さないと生き残れない社会で競争している。業績づくりよりも自分のやりたいことが先にないと面白い研究はできない」

 

「本来、一人の研究者が年間に10本も論文を書くことはおかしなことだ。3年に1本良い論文を出していれば十分良い研究ができている。また科学者は楽しい職業だと示せる人が増えないといけない。雑務に追われる大学教授を若手が見ている現状では難しいかもしれない。米国でも同様の危機意識があり、資産家がコンソーシアムを組んで、自由に基礎科学を研究させる例もある」

 

「我々は財団と市民参画を通じて実現したい。私はノーベル賞を受賞の前後で研究者としての環境や評価は何も変わらない。受賞後、科学の窮状を説明し、市民と科学を近づける財団の活動に多くの賛同を頂いた。これは大きな励みであり、同時に本当に重いプレッシャーになっている」

 

おそらくほとんどの若手研究者がこのメッセージに賛同するであろう。残念ながら、これを100%現実の若手研究者の置かれる状況に当てはめてみると、特に2つ目のメッセージを実現することは難しい。

研究者を評価するシステムがそうなっていないからだ。私も大隅先生同様、今の研究者の評価するシステムは不完全だと思っている。個々の研究テーマよりも業績に重きが置かれている。

また、若手研究者の任期付きのポストがこれらの達成をさらに難しくしていると感じる。基礎研究や、学問を一から積み上げるような研究は、数年でできるものではないことが多い。その研究に必要な期間よりも任期の方が短いのであれば、そのような研究ができる環境ではないというのがわかるであろう。

かと言って、では若手研究者は諦めて業績重視の研究をするのであれば、それこそ大隅先生がおっしゃるように、日本の科学に未来はないと思う。

 

若手研究者が置かれた現実の中で、科学者としての理想を追い求めることが簡単ではない。しかしそれに適した環境がないのなら、若手研究者は自らの手で、その環境を作る努力をしなければならない。

そこで、私が行っている努力をここに記そうと思う。科学者の理想を体現するためのプランだ。この方法はひょっとしたら間違っているかもしれないが、これからの5年間をこの方法に賭けたいと思う。

 

まずは、現状の評価方法に従って全力で成果を上げ続ける。論文の質も大事だが数がなければ説得力がないので、主著10本に達するまでは、成果が出やすいテーマを中心に(でも、もちろん質も重視して)研究を進める。私の場合はすでに博士課程で主著論文を5本出版しているので、これは数年以内に終わるだろう。その間に、チャレンジングなテーマを練って温めておく。

 

主著が10本に達したら、長らく練っていたチャレンジングなテーマに取り掛かる。もちろん、成果の出やすいテーマも掛け持ちで。これにより論文出版ペースは年主著1本ペースになるかもしれないが、これまでの論文数があるので精神衛生上問題ない。むしろ集中してチャレンジングなテーマに取り組むことができる。

 

そしてそのテーマでブレイクスルーをもたらして、任期なしのオファーをもらって自分の研究室を開く。

 

 

 現状、自分の研究室を開くというのは夢だが、夢は叶えるもの。これから10年間、これを叶えるために頑張っていきたい。

 

さて5年後どうなるか?未来を切り開くのは自分自身。未来を切り開けるかどうかは自分の努力次第。

震災日記【東日本大震災時に記した3日間の手記】

こんにちは。Dr. Saitoです。

 

懐かしの日記転載シリーズ。

 

今日で東日本大震災から7年が経ちました。あの瞬間の出来事がもう7年も前のことだなんて、時の流れの速さを感じずにはいられません。

もちろん、”まだ”7年しか経

っていないので今も沿岸部に行くと復興にはまだまだ時間がかかることを感じるでしょう。

 

でも、恐ろしいかな、記憶は風化していきます。私は経験者ですから、一生忘れることはないでしょう。でも経験していない人はどうでしょうか?

関心が薄れる中、またあんなことが起きてしまったら、と思うと何かできないかなと考えてしまいます。

だから、私が考える「防災・減災」としては、震災の経験をシェアして、疑似体験から色々学んで準備をすること。もしくは、当事者ならこの経験を忘れずに、非経験者に伝えていくことだと思います。

 

 

以下の日記は、当時私が仙台在住の学生だった時に遭った東日本大震災について、地震発生前後から、仙台を脱出するまでの3日間の手記です。

手記なので、原文そのまま載せます(日本語の間違いはご容赦ください)。

 

 

ちなみに、下記の経験から学んだことは、要約すると以下の三点です。

  1. 非常用持ち出し袋は用意したほうがいい(空腹が辛かった。私はこの出来事以降、常に3日分の食料と水を用意しています。)
  2. 情報の取捨選択は慎重に(デマが本当に多かったです。2日目の10mの津波、化学工場から有毒ガス、原発爆発…、本当だったのは原発だけでした。)
  3. 人とのつながり・助け合いを積極的に(一人は心細いです。すごいストレスです。他の人と話をするだけでも心が落ち着きます、助け合いは会話を生みます。)




 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

地球が暴れている。 


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震災1日目 

いつものように部活をし、筋トレをして、接骨院に行って、自宅に帰ってきた。 
今日はこれから研究室に行こうか、街に出てショッピングでもしようか。 
なんてことを考えながら、シャワーを浴びていた。 

3月11日 午後2時46分 

ガタガタ揺れ始めたのは、ちょうど身体を洗い終わって、頭からシャワーを浴びているときだった。 

お、地震か・・・ 
最初はこの程度の揺れだったのだが、横揺れに変わった瞬間 
大きく前後左右に身体が揺さぶられた。恐怖を感じる。 
パニックになって、浴室から飛び出した。 
キッチンでは、机のお茶はこぼれ、炊飯器は落ち、冷蔵庫は踊っていた。 
部屋に入ると、棚は崩れ、書棚から何冊も本が落ちている。 
とにかく揺れが長い!やっとのことで、テレビをつけた。 
緊急地震速報の警告音が響き、5秒ほど経つとテレビが消えた。 
停電か。 
ライフラインは止まった。(水道はわからない) 
最近PCが調子悪く、ネットができないため、情報が無い。 
とにかく、東北太平洋沖で巨大な地震が起きたんだ。 
きっと津波も起きるだろう。 
ただ、これだけ家がめちゃくちゃに散らかったのに、こんなもんか 
意外と、大丈夫なのでは?とも思った。 
仙台は、地震の多い地域で、耐震はしっかりしていると知っていたからかもしれない。 
外を見ると、家の瓦は飛んでいるけど、全壊家屋は近くに見受けられない。 

あ、また地震、でかい! 
余震が発生して、また恐怖に見舞われる。 
とにかく、情報が無い。寂しさもあってか、とにかく大学に行こう。 
電話、メールが使えないので、ツイッターで自分の無事をつぶやいて 
濡れた全身を拭きながら、さっさと準備して散らかりきった家を出た。 
外に出ると、人々が外に出ている。みな不安そうな顔だ。 
僕は車を出した。 
道の所々に石が散乱し、木の枝が落ちていた。 
信号も機能していない。みな譲り合って交差点を通過する。 
途中の牛越橋の上でまた強い余震に襲われる。 
橋の上なので車が上下左右に揺さぶられ、恐怖に慄く。 

午後3時30分頃 

やっとのことで大学につき、友達を発見しては、互いの無事を喜んだ。 
このころになると、車のラジオやツイッターのおかげで 
この地震の規模などが分かってきた。 
震源 三陸沖 M8.4 栗原市震度7 大津波警報 10M以上 
津波がすでに到達。 名取川を津波が逆流。 気仙沼市大部分水没 
・・・これは大変なことに巻き込まれたと改めて痛感した。 

大学生協は無償で水やパンを配り始めたので、僕は水3リットルとパン5個 
おにぎり3個をもらった。これで2日は大丈夫だ。 
ケータイのメールはたまに受信できるくらいで、まだ通じなさそうだ。 
無事確認メールを様々な人から頂いたが、なかなか返せなかった。 
そうこうしているうちに、雪が降り始めた、寒い。 
あっという間に辺りは真っ白になった。 
大学本部は忙しなく動く。 
理学部化学棟から煙が発生し、辺りに嫌な薬品の臭いがする。 
上空にはヘリが飛び回り、消防車だろうか、サイレンの音が鳴り響いている。 
友達が言っていたが、我らの学び舎、物理A棟は壁が所々崩れ、亀裂が入り、部屋がめちゃくちゃらしい。 

午後5時頃 

大学本部から帰宅指示が出た。僕は大丈夫だったが、八木山住の友達は大変そうだ。 
八木山橋が隆起して通行不可らしい。 
僕は途中会った研究室の人たちと別れ、家に帰ることにした。 
車に乗り込んで理学部を出るのだが、もう大渋滞だ。 
車に乗っているうちに、辺りが暗くなった。 
このころになると、ラジオのおかげで被害の状況も少し把握できてきた。 

東北太平洋沖地震 M8.8(国内最大規模)1900年以降世界5番目の規模 
南相馬市津波7.3m 仙台新港津波10m以上 死者、行方不明者多数 
仙台空港 水没 
女川町 壊滅的 
津波が仙台市内陸10キロまで押し寄せる。 
ぞっとした。 
まるで映画だ。 

渋滞はひどい。道には所々ひびがあり、歩道は隆起している。 

仙台はどんどん闇に包まれていく。 
星だけは、とても綺麗だった。 

午後8時頃 

やっとのことで帰宅。 
たった4キロの道のりなのに3時間もかかった。 
車で来たことを後悔した。 
この頃には頼みの綱のケータイも電池が1つになっていた。 
車の中でだいたいのメールに返信したが届いているかわからない。 
これ以降ケータイは使えない。とりあえず寝よう。 
電池式ラジオをつけ、懐中電灯で天井を照らしながら、目をつぶった。 

震災2日目 

夜、余震で何度も起きた。1~2時間おきくらいだろうか。 
長野の方でも地震があったそうだ。ラジオから聞こえてきた。 

午前6時頃 

ラジオによって起こされた。緊急地震速報の音が鳴り響く。 
朝だけで3、4回聞いただろうか、もう聞き慣れた。 
ラジオは、だんだん明らかになってきた被害の様子を語る。 
関東にも影響を起こしているようだ。 
すさまじい。 
仙台市若林区で津波に巻き込まれた遺体が200~300体ほど転がっている。 
ショッキングだ。 
また、各県の港町の様子を、ほとんどが「壊滅的」と表現されている。 
心が痛む。 
また、役場が水没して機能していないところが多いらしく 
まだ被害の全容が分からないらしい。 
不安な時間はつづく。 

記 3・12 午前7時50分 

午前8時頃 

とにかく情報収集のため、外に出た。天気は晴れ。 
大崎八幡宮の石碑はほぼ全壊だった。 
とりあえず食料調達のためスーパーに並ぶ。どうやら販売してくれるそうだ。 
8時半に並び始めて12時にやっと買えた。3時間半並んで2日分の食料(ビスケットなど) 
を確保した。ちなみに僕が並んだときは50mの列だったが、12時頃になると 
その列は400mに達していた。いったい何時間かかるんだか。 

午後1時頃 

東北大学の予知観測研究センターにいって情報収集をする。 
発電機により多少の電力があり、ケータイの充電を少しした 
テレビも見れた。そこで初めて津波の映像。沿岸の状態が分かった。 
とてもショッキングな映像で、言葉を失った。 
・・・あ、地震の解説に、松澤先生が出てる! 
その場の空気が少し和らぐ。 
ケータイの充電を終えて出発しようとする頃には、松澤先生は帰ってきた。 

ケータイのメールの返信をして、予知観を出て、ガソリン節約のために 
自転車に乗り換えて町に出た。 
東に行くほど、被害の状況が悪化する。道路陥没、地割れ、仙台城址の城壁崩落・・・ 
日没が近くなったので、戻って東北大の避難所に行った。 
ここでラクロス部の同学年と待ち合わせ、無事を喜び、あす(3.13)からの遠征についてMTGを行った。 
もちろん中止だが(笑) 
配給のカレーを食べ、あす朝10時からの炊き出しの情報を得て避難所を出る。 
再び予知観へ情報収集に行く。 
原発が、ヤバいことになってるな。 
そして、公式には死者600名、行方不明500名以上 
非公式には仙台市・名取市・岩沼市で合計500名以上の遺体あり 
陸前高田市で300~400体の遺体あり 
南三陸町の町民の7割(1万人)行方不明 

もう、こうなってくると言葉も出ない。 

避難所には電気が来たが、うちは今日も真っ暗だ。 
この生活、いつまで続くのだろうか。 

記 3・12 23時20分  


震災3日目 

8時30分頃 

財布の中身がいよいよ寂しい状況になってきたので、銀行に行った。 
銀行は、この震災でも臨時で営業してもらえた。 
仙台を脱出するのに十分なお金を得て、朝の炊き出しを貰いに中の瀬橋の下に行った。 
炊き出しでは、豚汁とご飯だった。今の自分にとっては御馳走だった。 
午後になって、原付で東の方へ走った。 
港の方へ行ってみようと思った。 
津波がどこまで来たのか、少し興味があったからだ。 
仙台港の内陸7キロ付近で、少し津波の跡があった。 
といっても、少しゴミや泥がある程度。 
もう少し行ってみよう。これが間違いだった。 
仙台港付近の内陸3キロ付近に来た時、あまりの光景に息をのんだ。 
写真を撮ろうと思ってカメラを所持していたが、カメラを手に取ったところで 
シャッターを押せなかった。 
身の毛も弥立つ光景、まさに地獄絵図。 
車は鉄柵に刺さり宙に浮いた状態で制止し 
太い幹線道路は泥にまみれていた。 
そんな中、半分つぶされかけた家の家主だろうか 
家の壁を神妙な面持ちで掃除をしている人がいた。 
その時僕は激しい自分に対する嫌悪感に襲われた。 
家主は興味本意でやってきた僕をみて、どんな気持になっただろうか。 
考えただけで申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 
写真には残さなかったが、心の中には一生消えることのない光景だろう。 
津波の恐ろしさと被害にあった住民の悲痛な表情は。 

午後7時頃 

東北大の避難所に到着した。ラクロス部で今後の部の運営に関するミーティングを行った。 
とりあえず、3・26に幹部ミーティングをすると決め、それまでオフになったので 
実家に帰ろうと思った。 
電気は今日の6時頃復活したが、食料の問題があったからだ。 
本当に、食料が無いのだ。だから、もう少し状況がマシであろう実家に帰る。 


そして、今 
交通機関がマヒしていて、脱出ルートを探すのに苦労しました。関東のやつらに情報を送ってもらってなんとか、山形~鶴岡~新潟回りで帰還できそうです。 

この東北・関東大震災、最終的には世界4例目のマグニチュード9.0 
津波などで死者1300名以上 安否不明1万人以上。 
未曾有の災害となりました。 


この3日間、当たり前のことができなかった。 
文明に依存しきった生活だったんだなと本当に思います。 
本当に恐ろしくもあり、貴重な体験をした3日間でした。 


これより、仙台・脱出します。 



3・14 午前1時 記 

受験戦争からの帰還

こんにちは、Dr. Saitoです。

 

懐かしの日記転載シリーズ。

 

浪人からの大学受験から今日で丸10年です。当時1日12~14時間の勉強を毎日欠かさず行って、溜まった鬱憤と受験からの開放感を文章にぶつけていたことを今でも思い出します。今日はそれから10周年を記念して、2008年当時(本人19歳の頃)の文章をこちらに載せます。

この時は、10年後アメリカで研究者をやっていたとは夢にも思っていなかったでしょう。人生って、わからないですね。

 

それでは、どうぞ。


☆  ☆  ☆  ☆  ☆   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

 

 

浪人生

さんずい取れば

良い人生。





ちょっと上手いこと言ってみたw





はい、こんばんは!

まだ、さんずいが取れていないマニ(注;当時のペンネーム)です。



戦績を報告します。



っと思ったけど、自分の結果を公に晒すのもどうかと思うので、とりあえず伏字で書くことにしますw



俺らしい、奇妙な結果になりましたwww


では、いつものいきますww



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タッタララーラーラーーー(戦争の音楽)





睦月十九日、第二次受験戦争は開戦した。


マニ少佐率いる浪人軍はセンター試験大空爆を仕掛けた。

相手軍の領土の約83%爆撃成功。後の対戦に弾みをつけると共に、

N大帝国(理工・物理)、R大軍(理・物理)、野田ヲタ大(理工・工業化学)

を撃破。





如月八日、R大軍侵略(理・物理)

順調に数学、物理艦隊を砲撃。

英語艦隊に少々やられるも大丈夫だろう、

とタカをくくっていたらまさかの敗北。(発表後2日間、鬱になる。)





如月十二日、TR大ヲタ決戦(理・物理)

のっけから数学空母に爆撃され、放心状態。

しかし、必殺、物理特攻隊がやってくれました!!逆転勝利。







如月十四日、K塾軍大殺戮(理工・学門3)

これはいける!怒涛の銃撃ラッシュで英語、理科、数学隊を攻めるが、

終了間近に数学の解答欄書き間違いに気づく。時、既に遅し。

これがたたってか、停戦協定。(補欠)





如月十六日、W帝國上陸作戦(先進・応用物理)

数学、理科戦闘隊を撃破。うーん、いい感じ!

っと、隙を見せた瞬間に背後から英語艦隊に砲撃され、

爆死。(手ごたえは2割w)

これはダメだと思っていたが、まさかの勝利。





如月二十五、二十六日

国立遠征東北大(理・物理系)

ハッキリいってまだ分かりませんが、手ごたえ的には、

英語…まあまあ。理科…大失敗。数学…マニ旋風巻き起こす。

です。

合否は五分五分でしょう。




…この戦争ももうすぐ終戦ですなぁ

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立教落ちたのは自分への戒めになりました。やはり何事にも全力でやらないとだめなんですよ。





この一年間、学力以外に得たものは大きい。きっとこれは浪人を経験した人でないと分からないのであろう。

なんというか、自分の欠如した点が明らかになったり、モノを一歩後ろから見られるようになったり…

もちろん第一志望には受かりたいですが、この生活を経験できただけでも、一年犠牲にしても十分お釣りがくると思います。(でも、受かりたいよ?猛烈に受かりたい!!死んでも受か…w)

「浪人してよかった」って思えるのはきっとコレなんでしょうね!



さて、東北がダメだった場合、後期はK州大学ですが、試験は面接のみです。

つまり、勉強とはおさらば(嬉)


今、ふと考えるとホントに勉強したよなー。

なんか、明日から勉強する必要がないってなると「え、いいの?ほんとにいいの?」って感じになりますw

なんか明日から暇になりそうwww長い事この生活やってると、名残惜しく思えてくるものです。(かといって、この生活をもう1年やるか?と問われたら、声を張り上げてNO!!!と言いますwww)


こう考えてると、やっぱり合格ありきの浪人生活ですね。


あと、仙台という街は、のんびりした空気が漂っていて居心地が良いです。

…住みたいなぁ。



まぁ、今ごちゃごちゃ言っても合格率は上がりませんわな。


人事は尽くした!!!天命を待とう。




というわけで、今日は夜更かしして、ずっと楽しみにしていた「耳をすませば」観て、明日の昼までぐっすり寝ようかな(嬉)






浪人生の皆さん、お疲れっしたーーー!!!






悲しい訂正:東北大の答えが発表されたので自己採点したところ

英語…まあまあ、理科…まあまあ、数学…爆死

でした。数学は5問完答したと思ったら、実際は2問でした(涙)

ボーダーすれすれ。やばいっすorz

 

2008年2月26日 記

 

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うん、懐かしい。合格発表の時は、親戚も集まり非常に重圧を感じていたが、番号を見つけた時は飛び上がって親戚や両親に報告したことを覚えている。

 

まさしく、良人生だな!

研究資金獲得のための研究計画書

こんにちは、Dr. Saitoです。

 

初めて任されたプロポーザルだが、1回目のCo-PIからのフィードバックは否定的なものだった。「計画は素晴らしいが、とても2年ではできない。」

 

やりたいことを詰め込んでエフォートを75%/年で換算して書いたので、そう取られても仕方がないのだろう。たとえ理論がしっかりしていても、期限内の実現可能性が小さい研究計画なんて、ただの紙切れだからね。

 

ただ、ただの紙切れでも大きな夢が詰まっている。

 

これから、また研究計画書を大幅に改訂するわけだが、今回の失敗から学んだことは、

 

「本当にやりたいことは、内に秘めながら少しづつ自分でやる。」

 

挑戦的なテーマほど、いろんな意味でのコストがかかるだろう。だから実現可能性を疑問視されやすいし、応募できる研究資金の種類も限られてくるだろう(期間や金額などの制約で)。

 

これから少しづつ、時間を作っては本当にやりたいことに取り組んでいきたい。