Lake Bryan
落ち着く場所。
テキサスで運転免許証取得&車の購入
こんにちは。Masa Saitoです。
テキサス州で運転免許証を取得し、かつ中古車を知人から購入たので、その時のメモを公開します。
運転免許新規取得
概要
- Knowledge testを受ける
- Driving testを受ける
- Driving licenseを受領
Step 1. Knowledge test(筆記試験)
まず、最寄りのDPS(日本でいう運転免許センター)に行き、Knowledge testを受ける。必要・実際に持って行った書類は以下のとおり。
- パスポート
- SSN(紙媒体)
- I-94(H1-B visaの場合)
- アパートリース契約書
- DS-2019(J visaの場合)
25ドルを支払ってテストを受ける。テスト自体はそこまで難しくないが、日本と交通ルールが違う点も多々あり、また法律など数日しっかり勉強しないと合格しない。オンラインで教科書をダウンロードでき、また、オンラインテストもあるので、学習の確認や模擬試験に使うと良いだろう(下記:ただし米国内限定)。
合格すると仮免許状態となり、webからDriving testの予約を行うことができる(その場での予約は不可)。不合格の場合は、およそ3ヶ月程度は再受験が可能(1日1回が限度)。再受験の回数は何回が限度かはわからないが、周りの話を聞くと少なくとも3回は可能。
Step 2. Driving test
webからDriving testの予約をして、指定された時刻に指定したDPSに行く。その際必要なものは以下である。
必要・実際に持って行った書類
- パスポート
- Knowledge testを合格したときにもらえる書類
- 車
- 車の保険証
日本と大きく違う点は、車を自分で用意しなければならない点。また、車に保険をかけずに公道を走るのは違法なので、必ず保険をかけること。
日本から国際運転免許証を発行し、それがまだ有効な場合は、レンタカーを借りる際に保険をかければOK.
国際運転免許証がない場合、もしくは失効している場合はレンタカー屋と交渉するか、友人に車を借りて保険をかけるしかない。ただし、仮免許で運転する場合は助手席に免許保持者を乗せないと運転ができない。
時間が来ると、担当教官にDPS内の道路の指定の場所に車で来いと言われる。そこに移動して待つと担当教官が乗り込んで来て説明を受ける。その際再度、車の保険証を確認される。
まずはDPS内の道路で基本的な走行と縦列駐車を行う。縦列駐車が苦手な人は小回りの効く小さい車を持って行くと良いだろう。
次に公道に出て、担当教官の指示通り運転する。慎重に運転して減点はないので、しっかりとルールに則った運転をすれば落ちることはない。米国特有の交通ルールには注意。私は一度Driving testに落ちている。
試験終了後、その場で合否を言い渡され、また試験結果のフィードバックをもらえる。不合格の場合は、またwebから予約し同様のことを繰り返す。合格の場合は1〜2週間で自分が指定した住所に運転免許証が届く。
運転免許証再発行
過去に米国内で運転免許証を取得して2年以内の場合は再発行ができる。2年を過ぎた場合はまた1から受験しなければならない(と思う)。予約なしでDPSに行き、下記の書類を揃えて提出する。
必要書類(H1-B visa)
- パスポート
- SSN(紙媒体)
- I-94
- アパートリース契約書
- Bank Statement
- 期限切れの運転免許証
25ドルをキャッシュで支払えば終了。その場で仮免許(紙媒体)が発行され、2週間以内に運転免許が指定した住所に届く。非常に簡単。
参考文献(ただし米国内のみ閲覧可)
知人から中古車の購入
手順
車の購入は(1)新車をディーラーから購入、(2)中古車をディーラーから購入、(3)中古車を知人から購入、の3つの選択肢がある。(3)が最もコストを抑えられるが、トラブルも多く、故に難易度が高い。
(2)については以下のブログで紹介されている。
今回は(3)知人から中古車を購入したのでそれについて概要と失敗した点を述べる。
まず、値段の交渉である。年式、走行距離、車の状態から値段をつける。同じような状態の車の相場から値段を決定する。米国では、中古車も比較的高値で売買されるため、車の状態を一つ一つ確認して値段を決める。私は、これを怠ったため、あとで後悔をする(後述)。(一応簡易の契約書を作っておくとあとあと揉めることが少ないが、信頼できる人から買う場合はその限りではない。ちなみに私は作らなかった)。
値段交渉がまとまったところで、以下の書類を準備する。
- Title transfer
- Registration document (Form 130-U)
- 車の保険証
Title transfer(車の保有証明書?)の書類を売主からサイン付きでもらう。Registration documentの必要部分を売主に記入してもらい、サインももらう。Registration documentはTax Officeでも受け取ることができるが、その場合、売主も一緒に行く必要があるので書類をあらかじめダウンロードして記入しておくと良い。
車の保険に加入して、その証書をプリントアウトする(しかし、そのPDFを携帯電話で見せるだけでも大丈夫だった)。車の保険加入にはSSN, 運転免許証が必要。日本の国際運転免許でも、SSNがなくても保険には加入できるようだが、ほとんどの人はディーラーを通してやっているので、個人でどのようにやるのかはわからない。
最寄りのTax Officeに行き、Title transferで来たと窓口の人に伝える。上記の3つの書類をカウンターで提出し、税金を支払う。
Bryan市の場合、車の購入金額か、車の年数や走行距離に応じた相場のどちらか高い方の金額 x 6.25%が税金として納める金額となっている。今回は$3000で車を購入したが、実際に支払った税金が$229だったので相場よりおよそ$700安く購入できたことになる。
とほほなトラブル
なんと購入後にエアコンが効かないことが発覚した!購入前に車の状態を訪ねたが「状態はまあまあだ」という回答だった。今考えればこれは「何も言っていない」のと一緒である。一つ一つ項目を分けて状態を具体的に記入してもらえば良かったのだ。金額はすでに支払済みであり、売主は母国へ帰ってしまった後だった。文句の一つや二つは言いたくなるが、確認しなかった自分が悪いのだ。
テキサスの夏は暑い。来年の夏までにはなんとか修理しなければ、車の中で煮えてしまうだろう。
テキサス研究留学日記のその後の話(後編)
こんにちは、Dr. Saitoです。
今回のテキサス渡航の話の続き(最終話)です。
苦難を乗り越えて自信をつかめ!
3ヶ月のプロジェクトを任され、とてつもない不安に襲われながらも初日の仕事が終わりました。幸運にも、その日は金曜日で、週末に精神的・肉体的な疲れを回復することができます。ドタバタした中での唯一の収穫は、英語に対して、前回ほどの苦労がないという点でした。もちろん、流暢に英語を話すことはまだできませんが、基本的な生活をする上で語学力不足は感じませんでした。
さて2017年9月4日、月曜日です。
この頃には「とにかく、ボスは自分に期待してこのプロジェクトを任せてくれたんだ、それに自分の実力を示すチャンスだ。頑張ろう!!!」と思うようになり、やる気がメラメラと湧いていました。とにかく100%集中すれば、きっと3ヶ月で終わるはず!
しかし、そのやる気をあざ笑うかのように立て続けに仕事が降って来た。
- 学生が書いた論文の添削
- 科学研究費のプロポーザルアイデアの創出
- 3年プロジェクト(新しいテーマ)
そしてこう思った。
「きっと研究者の仕事量ってこんな感じなんだな。」
自分の中の固定観念がガラガラと崩れて、何か地殻変動が起きている気がした。
悩んでいる暇はないので、まずは論文の添削から始めました。しかしこれが鬼門で、論文のクオリティがあまりにも低く、結局ほとんどの章を書き直すことになりました。こんなことに時間を使っている余裕はないのに。
3年プロジェクトについては、去年の留学中に聞いていた内容でした。さすがに、ボスも今の3ヶ月プロジェクトを優先してくれという話をしていましたが。これは新しいテーマであり、ボスが私の研究者としての幅が広がるようにと与えてくれたテーマでした。
このように、様々な仕事が与えられた結果、プロジェクトを期限内に終わらせることができるかといった不安は不思議と消え去りました。そんな不安も感じている暇はないということです。すると、頭の中はクリアになり、不思議と3ヶ月プロジェクトのためのアイデアがたくさん出て来ました。
特に、家に帰ってシャワーを浴びている時にアイデアが浮かび、それを書きなぐって翌日デスクで数式の確認を行うといったことを繰り返していきました。これがResearcher's Highってやつかな?
私生活でも状況は好転して来ました。この町には数十人の日本人がいるようですが、そのうちの10人程度と知り合う機会がありました。みんなで一品持ち寄って居酒屋パーティーを行い、久々の日本の味覚を楽しむとともに、いろいろな暮らしの情報などを得ることができました。
その後、家具も必要なものは買い揃え、車も購入して行動範囲が格段に広がりました。研究では、まだまだ知識不足からなかなか研究が進まないような苦しい時期もありますが、学びと実践を繰り返して一歩一歩ゴールに向かっているような状況です。徐々に研究と生活の歯車が噛み合って来て、追い風で帆もいっぱいに膨らみ始めたような気がします。そして気づいたら、1ヶ月が経っており、筆をとることにしたのです。
雑感と今後の展望
研究者という職種は、お金も稼げないし仕事中もずっと楽しいわけではないので、これまでの学歴を考えると、金銭的には”割に合わない”仕事なのかもしれない。しかしながら、金銭以上の魅力があるからこそ続けられるのだと思います。
誰も知らない新しいことをやるのだから、最初は何もわからなくてなかなか研究が進みません。そういった苦しい時間を乗り越えて小さな進歩を得られるのです。そしてまた壁に当たり苦しい時間が流れ、またそれを乗り越える。そして最後の壁を乗り越えた時、何にも変えられない達成感が得られるのです。
その達成感は、論文という形となってこの世に出回り、自分の財産になります。これがもう最高なわけです。
さて、3ヶ月プロジェクトも全体のおよそ40%の時間が経過しました。まずはこれをしっかりと完了してボスの信頼を勝ち取ります。今後も、勉強と実践を繰り返して、研究者として一回りもふた回りも大きくなって、いずれ日本に戻って日本の科学技術発展と未来の研究者の育成に貢献しようと考えています。
自分の10年後を想像することは容易ではありません。でも、何かぼんやりとでも10年後のヴィジョンを持っていれば、それを叶えることは可能です。およそ15年前の中学校卒業文集で「10年後は科学の道に進むだろう」と書いていた、あの日の僕のように。
これから(まずは)3年後、自分は一体どうなっているかな?皆様にも一方的ではありますが、いち研究者の人生の歩みにお付き合いいただきます。
これからも、たまにここで近況を報告します。宜しくお願いします。
テキサス研究留学日記のその後の話(中編)
こんにちは、Dr. Saitoです。
今回のテキサス渡航の話の続きです。
怒涛のテキサス渡航後
2017年8月30日、時差ぼけで頭がぐるぐるする中、ようやくCollege Stationに到着しました。本当ならば、Houstonに到着してからレンタカーを2・3日借りてCollege Stationに向かい、ついでに日用品購入など生活を整える予定でしたが、予定を変更してCollege Station空港から迎えに来てもらうことにしました。
前回の渡航である程度の人脈を作っていたので、今回は非常に助かりました。
そこから、最寄りのレンタカーのオフィスまで連れて行ってもらいました。さて、ここからの予定の流れとしては、
- 携帯ショップにてプリペイド携帯の購入
- 銀行にて口座の凍結解除手続き
- アパート入居
- 家具・日用品の購入
- 大学にcheck-in
これらを一両日中に行い、9月1日から仕事開始というハードスケジュールの予定でした。しかし、そのための最初のステップであるレンタカーのオフィスでトラブルが。
僕「車をレンタルしたいのですが。」
スタッフ「君は"資格"を持っているかい?」
僕「(?)"資格"ってなんですか?」
スタッフ「今はHurricane Harveyで車にダメージを受けた人だけが車をレンタルする資格を持つんだ」
僕「」
なんということでしょう。この瞬間の状況を説明しましょう。
- 連絡手段なし
- 交通手段なし
- スーツケース4つの荷物(総重量85 kg)
- アパートまで4 km
- 気温33度
- 時差ぼけ
- 仕事開始まであと2日
頭を抱えたくなる状態でした。あの時の気持ちが去来します。
「なんだか悪い予感がするな」 旅路につきながら、そう思わずにいられませんでした。
テキサス研究留学日記のその後の話(前編) - テキサス研究留学日記
勘というものは当たるのだなと。1分ほど落ち込んだあと、スーツケース4つを抱えてアパートまで歩いていく決心をしました。汗だくになりながらスーツケースを引きずり歩いていると、後ろから声をかけられました。振り返ると白く輝くトヨタSUVに乗った中年夫婦が
中「君たち、乗って行きな!」
僕「い、いいんですか〜!!!」
そういえば、以前こんなことがありました。
引っ越しは大変だった。旅行鞄4つを転がしながらホテルから引っ越し先までの4kmの道のりを歩く。大変すぎて途方に暮れていると、一台の車が止まり手招き。引っ越し先まで乗せていただいた。アメリカ人は優しい。
テキサス研究留学日記(3)〜到着から1ヶ月まで〜 - テキサス研究留学日記
この町の人はとても優しい。この暑い中スーツケースを4つも引きずって歩いているから、たまらず助けたのだと。車中、色々な話をしました。自分は前にもスーツケースを運んでいる途中に助けられたこと。これから研究者として働くこと。この人はトヨタ車が好きで、この車でもう23万mileも走っているということ。などなど。「僕の名前はBrettだ。何かあったら連絡しな!」名刺までもらい、何度も感謝しながらアパートにて、そのトヨタ車を見送りました。Brett、この恩は一生忘れない。
その日は結局、携帯電話と自転車の購入のみ行い、疲れ果ててアパートの部屋の床で就寝しました。
翌日、硬い床でしたが、精神的・肉体的な疲れもあり、朝8時頃まで爆睡していました。さて、昨日消化できなかったやる事を今日中に終えなければなりません。車がないので自転車で動き回ります。まずは、銀行口座の凍結解除です。実は、前回の渡米の際にまたテキサスに戻ってくることがわかっていたので、まとまった金額を銀行口座に入れておいたのです。これが、今回の生活のセットアップの資金でした。口座凍結解除に必要な書類を準備していると、
僕「・・・無い。」
僕「無い、無い、無い!」
僕「パスポォートがああああ、無いいいぃ〜〜〜!」
僕「(発狂)」
家のどこを探しても自分のパスポートが無いのです。これがなければ、銀行口座開設はおろか、大学にCheck-inもできず、仕事を開始できません。パスポートの再発行となれば、Hurricane Harveyで甚大な洪水被害の中、Houstonの日本大使館に赴かなくてはなりません。というか、そもそもレンタカーが借りれないのだからその交通手段もありません。はいオワタ。こればかりは一時間以上落ち込みました。
あの時の気持ちが去来します。
「なんだか悪い予感がするな」 旅路につきながら、そう思わずにいられませんでした。
テキサス研究留学日記のその後の話(前編) - テキサス研究留学日記
ああ、これが本物か。ああ、なんてことだ。しかし、一時間以上落ち込んだところで(当たり前だが)状況は何一つ変わりません。まずは駄目元で銀行に行って凍結した口座の解除を試み、それから昨日訪れたところを隈なく捜索することにしました。自転車にまたがり、さて行くかと覚悟を決めた時、一台の車が目の前に現れました。
見覚えのある、白く輝くトヨタSUVでした。
Brett「車の後部座席にパスポートを見つけたんだ。君のだろう?」
僕「そ、そうです!」
宗教によって色々あるだろうが、もしこの世に神がいるならば、今の僕にとってBrettがそれでした。さらに、まだ生活環境が整っていないことを言うと、一緒に買い物に行ってくれることに。3時半にアパートに来てくれると言うことで、それまでに他の手続きを行うことになりました。
それからは、銀行口座凍結解除、大学にCheck-inを立て続けに終わらせ、Brettと買い物に行きました。お店は全てBrettのオススメのお店。寝具、バス用品から食材などを2時間程度で一気に行いました。
Brett「これは"Power shopping"っていうのさ!」
何もなかったアパートの部屋が一気に整い、まるで夢のようでした。Brettには感謝の意を表して、富士山が描かれた和扇子を贈りました。これでも全然足りないのだが、Brettはとても喜んで、「また困ったことがあったら連絡して!」と言い残して去って行きました。
後でわかったことだが、Brettの名刺にはC.E.Oと書かれており、数百人の従業員を抱える社長であることがわかりました。これぞリーダーだ、こんなリーダーの元で働ける従業員は、きっととても幸せなのだろう。僕はこの先、理想の人間像としてBrett以上の人が現れることはないだろうと思いました。僕もこんな人になりたい。
その日も疲れ果てたが、その日に届いたふかふかのベッドで就寝しました。
いよいよ仕事開始!
さて、いよいよ9月1日になり、こちらの大学で仕事が始まりました。といっても、今日は事務手続きが中心で、大学の中の施設を行ったり来たりしました。ある程度仕事が落ち着いた午後、前回の留学の受け入れ教授であり、グループの上司であるY教授に呼ばれました。いよいよ研究課題を与えられます。研究内容なのであまり詳しくは言及できないが、そこには、
- 今までにない"新しい"雲の物理量の推定手法の開発
- 10年分のそれらのデータを用いた気候学的特徴や変動の解明
- 1ヶ月毎に報告書を提出
- プロジェクトの期限は2017年11月30日
最後の一文で我が目を疑った。前回の留学の際も"新しい"雲の物理量の推定手法の開発研究だったが、論文を書き上げるまで9ヶ月を要しました。それが今回たったの3ヶ月で開発だけでなく10年分のデータ解析をしなくてはならないのだから、胃がキリキリと痛くなるのを感じました。
俺(これ、論文2本分を3ヶ月でやるのか)
早速試されている。研究室の友人にこの話をしたら、どうやらこのプロジェクトについてY教授は今年1月からあてを探していて、9ヶ月経ってしまったのだという。そして、僕が来たらそのプロジェクトがアサインされたのだと。
考えれば考えるほど、胃がキリキリと痛くなる。昔の留学当初の気持ちを思い出していました。当時の日記には、苦しい心境の中、必死に自分を鼓舞するような言葉が書きなぐられていました。でもあの時も結果的に乗り越えたんだ。今回だってやってやる!!!
早速折れかけた心を立て直し、立ち上がろうとするのだが、
それを妨げようとするものは、無情にもさらに降ってくる大量のタスクだった。
続く