テキサス研究留学日記

テキサスに放牧された大学院生が博士号を取るまでの奮闘記と、その後の話。

テキサス研究留学日記まとめ

こんにちは。Dr. Saitoです。

 

博士課程後期で行ったテキサス研究留学をまとめました。

 

 

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テキサス研究留学日記(6)〜完遂編〜

続きを書きます。

 

 

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夏真っ盛りのテキサス

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テキサスに来て7ヶ月半が経ち、大学にも新入生がちらほら顔を出すようになってきた頃、突然残り滞在期間がおよそ半分になった私は、研究室にこもって作業に没頭していた。何しろ、その時まだ解析ソフトウェアの改良中だったのである。終盤の1ヶ月は本当に重要なのだ。しかし、“たられば”を言っても仕方がない。テキサス州内の旅行の計画も取りやめて論文書きと解析アップデートを同時並行で行っていた。

 

その頃には、指導教員の「論文書け書け」圧力も日に日に増していったが、信頼も勝ち取っていた。褒められることが多くなってきた。

 

9月の上旬、ようやく解析ソフトウェアが完成し、論文の材料が整った。あと2週間で書ききって投稿すれば良いのだ。新学期も始まり、セミナーの機会も増えていった。

 

研究室外でも楽しいことは増えていった。この頃には、拙い英語ながら英会話の抵抗がほとんどなくなっており、友達とご飯を食べに行くなど複数人数で外出する機会が多くなった。今振り返ってみると、仕事の密度的にも、夜や休日の楽しさ的にも9月が最も充実していたように思える。

 

帰国する1週間前、このテキサス滞在の集大成とも言える30分のプレゼンテーションがあった。そこにはNASAの衛星のプロジェクトリーダーだったKing博士がいた。論文でしか見たことがない人。有名人にあった時のような興奮と感激を覚えた。

 

プレゼンテーションには自信があった。自身の研究は衛星観測から雲の氷粒子の形の特徴を推定する手法の開発で、それ自体があまりない新しいテーマであった。加えて、(自画自賛にはなるが)緻密に積み上げた理論から得られる結果は新しく、研究の妥当性・信憑性には自信があったのだ。

 

プレゼンテーション中、King博士から光栄ながらなんども質問を受けた。そして、プレゼンテーション終了後にも質問やコメントをもらった。さらに、指導教官はKing博士こんなことを言った。

 

指導教官「こいつはとてもいいクオリティの研究をしているんだ。論文の議論に加わってくれないか?」

 

King博士「よろこんで」

 

こうして、幸運なことにKing博士にも研究を見ていただけることになった。こんなエキサイティングなこともありながら、なんとか期間内に論文を書き上げた。共著者との議論やチェックがあり、期間内での投稿は無理だったが(1週間後に投稿)、指導教官からは合格点をもらった。

 

 

こうして、どん底のスタートを切った私のテキサス研究留学もなんとか華々しい成果を上げて終えることができた…かに思えた。

 

 

え、テキサス研究留学日記もようやく完結する此の期に及んでまだ何かあるのかって?

 

 

それはある日、嬉しそうにテキサスの指導教員が私のオフィスに飛び込んできた。

 

指導教員「お前を雇う研究費を獲得したんだ。博士をとったらテキサスに来ないか?」

 

私「…!」

 

 

どうやら、このテキサス研究留学日記は別の形で続くかもしれません。日本に帰国後に行われた大統領選挙でトランプ大統領が当選し、最近までゴタゴタした話はまた今度。

 

 

たとえ暗闇のトンネルの中でも、頭をぶつけながら進み続ければ、いずれ光が見え、出口にたどり着くのだろう。泥だらけになり、傷を作りながらも、光を背にしてたくましい顔で笑いながらこう呟くのだろう。「挑戦し続けよう、できるまで。」

 

テキサス研究留学日記、ひとまず(?)完結

テキサス研究留学日記(5)〜盛栄編〜

続きです。

 

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アメリカ研究生活にも変化の兆し

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テキサスにきて4ヶ月が経とうとしていたある日、研究同期の友人が隣国の学会に行く途中にヒューストンに立ち寄るとのことだったので、一緒に遊ぶことにした。これまで孤独との戦いだったので、お互いを良く知る同業者との会話は身体にこびりついたストレスを発散するのによかった。テキサスに来て起こったこと、お互いの近況報告など会話が盛り上がった。

 

少しずつ、歯車が回り始める。研究室では度々指導教員が自分のオフィスを訪れる。

 

指導教官「最近の進捗はどうだ?」

 

私「順調に進んでいます」

 

指導教員「そうか。Good. 」

 

仕方がない。だって見せられる結果が無かったのだから。こんなやりとりがここ3ヶ月以上進んでいたが、ついにたたき台となる解析ソフトウェアが完成し、新しい結果が出た。それは5月の暖かな日のことだった。

すると指導教員の言葉も変わってきた。

 

指導教員「最近の進捗はどうだ?」

 

私「(20秒程度で簡潔に新しい結果を述べる)」

 

指導教員「そうか。Great!」

 

たった一言の違いだったが、無機質なGoodに嫌気がさしていた私にとってはとんでもなく嬉しい言葉だった。ようやく、先生にも少しはできるやつだと認められたかな?徐々に自分が研究者としての自信をつけていくことがわかった。

 

それからは、指導教員はオフィスを訪れて進捗を聞くのではなく論文の準備をしろという言葉に変わってきたが、私は得られた結果をより詳細に解析したり、解析ソフトウェアのアップデートをしたりしていた。ダイヤモンドの原石を輝く宝石にするが如く 解析データの質を向上させんと一生懸命磨いた。それはもう、楽しくてたまらない期間だった。

 

真夏の青天の霹靂

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気がつけば、テキサスの夏も盛る7月を迎えていた。

 

日本にいる指導教員とは月一回のビデオ会議で進捗報告をしていた。テキサスに渡航した当初は、これまでの研究のインパクト的にとても3年で博士課程を修了する ことが考えられなかったが、少しずつ、博士論文の話が出始めていた。この頃は、平日は研究を進めつつ、博士論文と、テキサスの研究の学術論文を執筆し、休日はしっかり休みつつテキサスの夏を満喫していた。といっても暑すぎるのでもっぱら屋内で過ごすのだが。

 

たまに休日に研究室に行っては自分のアイデアに従って解析を行うことが楽しかった。

 

私「こんな生活ずっと続くといいな。」

 

そんなことを思いながら、残り滞在期間が2ヶ月半となった8月のある日、事態は急変した。

 

4月に海外学振特別研究員に応募しており、 来年度の研究課題の採択合否を知らせるWeb画面がこんなことを言っていた。

 

「あなたは面接候補になりました。」

 

そしてその面接日を見ると9月… 

 

私「ん?9月?」

 

あと2ヶ月半あった期間が瞬く間に1ヶ月半に変わった。テキサスに渡航する際の約束だった論文提出に暗雲が立ち込めてきた。ここから私の博士学生人生のものすごいラストスパートが始まるのであった。

 

 続く。

 

ちなみに、海外学振特別研究員の面接はことらにまとめられています。

 

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テキサス研究留学日記(4)〜黎明期〜

こんにちは。

 

最後の更新から大分時間が経ってしまいましたが、記憶の続く限り書きます。

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 苦しいアメリカ生活

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自転車を盗まれた日、そのまま大学へは行かずにとぼとぼとWalmartまで歩いて自転車を買いに行きました。約3 kmの道のりを歩きつつ、あと9ヶ月大丈夫だろうかと不安に襲われた。結局その日は新しい自転車を買ったあと、ショックもあってかだらだらと1日を過ごしてしまった。

 

さて、テキサス州は広大な土地にスーパーが点在しており、日常生活する上で車が必要不可欠である。今回の滞在ではお金の関係から車を所持することは断念したが、車を運転できる様にテキサス州の運転免許証を取得する必要がある。日本の国際運転免許証はテキサス州内では渡航後90日間のみ有効なので、その間にテキサス州の運転免許を取得する必要がある。

 

取得の流れとしては、まずインターネットを通じて筆記試験を登録し、運転免許センター(DPS)に赴いて受験をする。それに通ると仮免許状態となり、次にインターネットを通じて実技試験の受験を登録する。最後に、実技試験を通ることによって免許を取得する流れである。日本の様に運転講習プログラムが義務ではないので、実技試験で落ちることもしばしばある。また、運転免許の試験を受けにDPSに行く主な交通手段は車である。DPSは街のはずれに位置している場合がほとんどで、公共交通機関などほとんどないのである。

 

何のための運転免許なのだろうか?笑 ともかく、すでに1ヶ月経過している自分は免許の取得を急がなければならなかった。

 

ある日、人づてに聞いたレンタカー屋に徒歩で向かった。筆記試験を受けるためである。しかし、歩けども、歩けどもレンタカー屋が見つからない。まずい、受験時間に間に合わなくなるぞ、とうとう覚悟を決め、近くの車修理店の人にレンタカー屋がどこにあるのか訊いた。

 

相変わらずの流暢な英語にまだ耳は慣れておらず、何度も聞き返す。なんとか、近くの道沿いにあること、歩くと結構かかること、お店の電話番号の情報を手に入れた。

 

俺「電話か・・」

 

自分にはまだネイティブとの電話でのコミュニケーションに自信がなかった、しかしやるしかない。覚悟を決めて、電話をしてみた。結果としてはやはり何度も聞き返すが、自分の伝えたいことをゆっくり話せば幾分伝わるのだと感じた。目印のある交差点まで迎えに来てくれることになった。本当に来るのだろうか?30分ほど待つと、一台の車が私の前で止まった。

 

俺「よかった、通じていたんだ」

 

話を聞いていると、レンタカー屋には借りられる車が残り1台だった。最終的にその車をレンタルしてDPSで筆記試験を受験した。車で30分の隣町の北の果てにDPSはあった。なんとか筆記試験に合格し、その日はことなきを得た。すぐに実技試験の予約を行った。

 

少しずつ蘇る雑草魂

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2月のある日、日本の大学で行っていた研究紹介をするセミナーを行った。ここに来て初めての英語でのプレゼンである。時間はたっぷり60分。ここ1週間はこの準備のために時間を割いてきた。なんといってもこれは自分にとってこの研究グループに溶け込むチャンスだからである。

 

現状では、一応研究室のメンバーとは挨拶をするが、英語力不足や研究の状況から自分が殻に閉じこもっており、一部のメンバー以外とはコミュニケーションが取れていなかった。なので、自分の研究成果を知ってもらうことで、この状況を変えようという試みである。

 

結果としては、自分の自己紹介も交えて上々な出来栄えだった。その日以来、明らかに研究室メンバーの反応が変わったと感じた。よく挨拶されるようになったし、談笑するようにもなった。1ヶ月を経過して、ようやく研究室メンバーに受け入れられたように思えた。

 

また、テキサスでの研究についても方向性が決まり、実現すればインパクトが大きい面白い研究を計画・立案した。ようやく光が差してきた。そんな心境になったころ、テキサスにきて2ヶ月が経過しようとしていた。

 

そんなある日、ついに運転免許実技試験の日が訪れた。場所はカレッジステーションから北に150km離れたWacoという町のDPSで行われる。しかしその日にやってしまうのである。DPS周辺まで来た時になんと道を逆走してしまった。日本の感覚がこの瞬間に蘇ったのだろうか?ショックを隠しきれずに運転免許実技試験を受けた。結果は言わずもがな、不合格。幾つか重要なポイントを指摘され、また頑張ってねと言われた。帰って急いでインターネットで受験登録をすると、国際運転免許証の有効期間ギリギリちょうど90日目の受験となった。つまり後がないのだ(仮免でも車を運転できるが、免許取得者を助手席に置かなければならない)。

 

俺「やったー」

 

満を持して望んだ運転免許実技試験@オースティンDPSでようやく合格を手にした。それはテキサスにきて3ヶ月が過ぎたことを意味していた。研究室の居心地は徐々に良くなり、毎日が楽しくなっていた。研究はもっぱらシステム開発でパソコンと向かう日々だが、To Do Listに記載されている項目が徐々に減ってきて、研究が進んでいることを実感している。ようやく歯車が回り始めた。ストレスからか毎日出ていた蕁麻疹もようやく治まってきた。ここから加速しよう。テキサスの短い春は過ぎ、夏が始まろうとしていた。

 

 

続く。